境内の様子

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芭蕉の句碑と句額

『春もやや 景色ととのふ 月と梅』 芭蕉

芭蕉の句碑と句額

この句碑は参道長い石段の中頃にあり、これは芭蕉が元禄6年(1693)1月に月光のおぼろと梅の花のほころびで春の気配がだんだんと整ってくる様子を詠んだ画賛(句などを画の上に書き加えること)の句だといいます。
又社殿には2枚の句額がありますが、幕末から明治の初期の頃、当地方に俳諧が活発化して神社下の鮎貝家の茶室自在庵に時折俳諧人等が集い句会が開かれました。
句額には慶応3年3月、東岳、梅窓、萬々が催主となって奉納され、諸国巡遊の折に気仙沼を訪れた補雀庵如風の揮毫によって記されています。
芭蕉の句碑もこれ等の俳諧人たちによって建立奉納されました。(境内図参照)

日東木食遼天(木食遼天碑)

日東木食遼天(木食遼天碑)

木食遼天和尚は補陀寺九世の住職にして俗姓は菅原氏、享保20年(1735)巌井郡東山浜横沢に生まれ、16歳にして出家し補陀寺八世智膏和尚に従い修行しました。
宝暦3年(1753)19歳の時諸国行脚に出て、先ず越後の金毛和尚に5年、北陸山陰山陽を遍歴し長門の国天海和尚に、九州豊前の国蘭凌和尚、長崎天草等を遍歴し所々の寺や名僧に随身修行し、明和元年30歳の時帰郷し補陀寺住職となりました。
和尚は観音を建立し六角堂を修築し下八瀬皎月庵の再建、明和5年補陀寺庫裏を建て、同7年地頭鮎貝志摩殿に願い出て天満宮を建立しました。明和9年隠居し天神下に庵を建て自在庵と号しました。
和尚は2度にわたり蝦夷松前城を訪れ城主松前志摩守殿御夫妻を始め家中の帰依ありて志摩守殿より天満宮の直筆の額を拝領、奥方より蝦夷錦五丈を賜り、額は今も社殿正面に掲げ有ります。
寛政8年富士山頂より金明水を汲み来たり大乗妙典を一字一石に浄書し社殿裏に富士小山を築き碑を立てて町内安穏を誓願しました。
又幾度となく国内行脚の折彫み置きし神仏像の数多にて研究者の注目するところとなり写真集や研究書が出ています。
更に仙台大蓮寺再建、江戸両国に延壽稲荷を建て、大名旗本御家中の帰依する者数多なりとの記録有り、享和3年(1803)11月12日69歳で自在庵に寂しました。(境内図参照)

天神山の四季(天神山公園)

社殿裏の天神山公園には緑深き老松が生い繁り、
春は梅の香かおり、爛漫の桜が咲き競い、夏は緑涼しく、秋は銀杏、紅葉は安波の山の裾模様、冬はお山よりの雪景色四方の眺め麗しく、訪れ来る人々の心を癒します。(境内図参照)

天神山の四季:梅(天神山公園) 天神山の四季:秋(天神山公園)