今日は新嘗祭
2010年 11月 23日 Author: 北野神社今日は新嘗祭です。新嘗祭は五穀の恵みを大いなる自然、そして神々に感謝するお祭りです。全国の神社で行わ
れています。
新嘗祭は、昭和23年に勤労感謝の日という国民の祝日が制定され、取って代わるまで、農耕民族である日本に
おいて、その精神文化の根幹として国の重要なお祭りとされていました。
勤労感謝の日になった経緯は占領軍の戦後処理の一環と言われていますが、その趣旨は「勤労を尊び、生産を祝
い、国民互いに感謝しあう」という事のようです。
生産を祝うという点では、新嘗祭も勤労感謝の日も意義は変わらないと思うのですが、勤労感謝の日は全てが人間
主体の考え方になっています。古来から日本人が行ってきた自然や神々などに対する畏敬の念は薄れてしまってい
ます。確かに勤労に励むことは豊かな国民生活を営むためには重要なことですが、それだけでは真に豊かな生活と
は言えないと思うのです。大自然の中で、その一部として存在する人間を意識して、大自然、時にそれをカミと称し
ながら、畏敬の念をもって生活し、精神的な豊かさを得ることが出来るならば、真に豊かな生活を送れるのではない
かと思うのです。
今ではあまり知られなくなった新嘗祭。神様に新穀を捧げ、そんな事を思う一日でした。
奉務神社、羽黒神社でも新嘗祭が行われました。 北野神社境内にある稲荷神社です。五穀豊穣の神様
農家を営む氏子の方々から沢山の新穀を奉納い を祀るお稲荷さんにも新穀が供えられました。
ただきました。
今日は小雪です
2010年 11月 22日 Author: 北野神社今日は二十四節気の小雪です。寒さもそれほどでもないが、高い山には雪が降り始める。
北風木の葉払う。とあります。当社がある宮城県の県庁所在地、仙台では、今日が初雪
の平年日だそうです。しかしながら今日は10月中旬から下旬並みの暖かい一日でした。
さて、明日は勤労感謝の日で祝日ですが、神社の立場から言えば、神様に新穀を捧げ、
実りを感謝する新嘗祭という日に当たります。米は神道や日本文化と密接な関わりをもち
ますから、全国の神社にとっては新嘗祭は非常に重要なお祭りになります。比較的お歳
をめした方は学校で新嘗祭の意義を教えられたものですので、我々神社人と同じく、明日
は新嘗祭という意識が強いかと思います。
今日は農家から新穀を譲られてきて、明日神様にお供えするために穂を抜き束ねる仕事
をしました。今年は猛暑の影響で、米の品質はあまり良い様ではないですが、それは見た
目の問題との事。一等米、二等米ということですが、食せば味に変わりは無いようです。
今年も命をつないでくれる恵みに感謝し、有り難くいただきたいものです。
お供えする稲穂です 境内の紅葉もそろそろ見納めです
境内の清掃奉仕
2010年 11月 18日 Author: 北野神社今日は氏子地区の婦人防火クラブの皆さんや、老人クラブの皆さんが神社の清掃奉仕に
いらっしゃいました。
天神山は梅や桜、つつじやあじさい、様々な草木が四季を通じて目を楽しませてくれます。
この時季も紅葉に染まった色とりどりの木々がとても綺麗です。
でもこのところの寒気で、それらもほぼ落葉しました。そうなると社務所の屋根や境内、参道
車道の落ち葉掃きが大変です。その折に恒例となった、清掃奉仕ですが、おかげさまで、す
っかり皆さんに綺麗にしていただきました。
掃いた葉は、境内の林に置かれますが、その葉がいずれ腐葉土になって草木の栄養になり、
また新たな草花を芽吹かせてくれます。なんでもそうですが、そうやって命はつながって行く
のだなあと感じました。
自然の一部
2010年 11月 16日 Author: 北野神社今日は寒気が入ってきて、一番の寒さになりました。お隣の志津川では最低気温が0.3度とか。
いよいよ本格的な冬の到来ですね。
さて、当社は毎朝6時に神様にお供えを奉る日供祭を行っています。気仙沼市では朝6時、正午、
午後6時、午後9時に時間放送が入ります。一日の始まり朝6時と終わりの9時は音楽が流れ
ます。日供祭は音楽と同時に行われるので毎日同じ時間に行っています。今までは日の出が早
く、暖かかったので、朝6時となるとお散歩を兼ねた参拝者の方が多くお出でになっていましたが、
今日、ふと寒さに気付き、辺りを見ましたら、朝6時が薄暗くなっていました。センサー式の灯ろう
も未だついています。参拝者の姿も見受けられません。なにか一気に季節が進んだようです。
これから冬至に向けて益々日の出が遅くなります。そういえば冬至近くは真っ暗でした。暦をみま
すと、夏至の日の出が4:13分。冬至は6:49分。2時間半位違うのですね。日中の時間が、夏至
の時で15時間ほど、冬至の頃では9時間半。5時間半の差があります。すごいですね。
日本では太古より、冬は太陽の力が衰えてゆき、万物の生成力も失われてゆくと考えられてきました。
ですから秋に太陽の恵みである食物のエネルギーを身に蓄え、つらい冬の時期を耐え、新しい芽吹き
の時期「春」の到来を願い、太陽復活の祭祀を行っておりました。そうやって日本人は、四季という自然
の中の一部として存在し、畏敬をもって生活してきたのですね。
私を含めた現代人が忘れかけている事柄です。
日供祭前の境内です。
今日は七五三
2010年 11月 15日 Author: 北野神社今日は11月15日、七五三の日です。七五三の日といっても今は土日、祝日を利用して
の参拝が多いですから、今日お参りの方は「しきたり」に重きを置いている方なのでしょ
う。これはこれで尊重すべき事柄です。
さて、七五三ですが、成人に至るまでの通過儀礼として、太古より行われていました。
後に中国の元服の思想の影響で、これに服飾が伴ってきて現在の七五三の片鱗が見
えてきます。すなわち男女児3歳の「髪置」髪を伸ばし始める儀式。男児5歳の「袴着」
自分で袴がはけるようになるけじめの儀式。女児7歳の「帯解」付紐をとり、ひとりで帯
が結べるようになるけじめの儀式です。この歳に当たる子供たちは、意義を正して氏神
様に詣で、これまでの成長にたいする感謝と、これからの変わらぬご加護を願うもので
す。更に七五三はある意味別れの儀式でもあります。日本では古来より、人は神の導き
により生を受け、神に見守られ成長してゆくと考えられています。更にその中で7歳までは
「神の子」といった思想を有しています。7歳までの子供は神とも人ともという不思議な存在
なのです。皆さんは子供の言動や行動に不思議を感じたことは無いでしょうか。また、古来
から伝わる祭祀の原型に神への媒介者に童子があたる事があります。これらは子供が神
に極めて近い存在であるということを物語っているのです。つまり七五三詣は、神から人に
なる「告別」の儀式とも考えられています。
ちなみに11月15日となったのは徳川綱吉将軍の子、徳松君の七五三を祝う際、その
歳の最吉日が11月15日で、その日を選んだ事から現在に定着したと考えられていま
す。未来を担う子供さん方の健やかなる成長をお祈りいたします。