気仙沼市後九条271
倉稲魂命
10月10日(神輿渡御・神賑行事は例祭日に近い休日と前夜)
鎮座地気仙沼は、もと釜ノ前湾(浦とも)といい、延喜式、文徳実録に見る気仙麻(アイヌ語ケセは、下或は終、しものはずれ、末端。、マは島岸或は江湾の意で、今気仙沼というのはその転訛で近村七ヶ村は桃生郡内であったという)で、この羽黒神社をもって延喜式内気仙麻神に擬する者もある。
しかるに「封内風土記」によれば、九条と号する地に在り。伝え云う。本邑の鎮守なり。嵯峨帝の弘仁中(810~823、平安)五条民部卿、菅原昭広卿長男三位中納言昭次卿の草創するところにして、本地仏は昭次卿夫人玉姫護持の本尊で、はじめ寺があり、天台宗にして羽黒山九条寺と云った。その後この寺は衰えたが大和国の修験有実法印が後堀河天皇の貞応2年(1223、鎌倉)2月この村に来て本社を再興したと記している。この有実法印と言う人は泰氏三積少進行実といい、壮年のころ叡山に登って僧となり寛実と号した。後、修験有髪沙門となり名を有実と改め、本村に下って羽黒社を再興し別当となり養法院と称した。即ち、その子孫綿々相伝えて今日に至る。
明治のはじめ現社号に改め、12年6月郷社に列す。
地主神社(祭神白山姫命)宇受女神社
初代小進有実、尾部実清、式部貞実、神性宥実、順心坊情実、実有、実源、源実、了実、実永、源実、父実、道実、源永、慶永、実珉、貞栄、宥観、明学坊、慶宥、慶永、宥慶、源慶、円寿坊実応、谷村四郎右衛門、永沢安兵衛、桑原幸彦、菅原直臣、同秀真、神山福男、菅原秀卿、当宮司32代同秀紘(本)
気仙沼市浜見山1番1号
屋船豊受姫命
9月第3土日(通称:紫さん かぼちゃ祭り)
慶長十年(1605、桃山)斎藤四郎兵衛盛方なる者越後柏崎より紫明神並に観音を勧請し、紫明神と称す。後、正保年中、又四郎の代に至り明神は屋敷続きの西風釜に奉遷し、観音は東方に移した。
不動神社
(明治以降)桑原幸彦、菅原秀真、同秀郷、同秀紘(兼)