神棚のお掃除をしていましたら尊いお水が出てきました。富士山頂に沸き出づるという「銀明水」です。
宮城県の神主さんの中には、毎年富士登山を楽しみにしているグループが何組かあります。宮城県
神社庁録事のMさんもその一人です。彼は多数で登ることを嫌い、いつも2、3人で登り、登山用品を
持つくらいなら酒を持ち、一升瓶数本を背負って登り、ご来光を拝しながら一杯やることを楽しみとして
おります。銀明水は彼から頂いた物ですが、実は私が依頼したのは「金明水」と呼ばれる同じく富士
山頂に出づるという水です。 なぜ金明水を求めたかと言うと、当社境内には「富士小山」という10M
位の小山が社殿脇にありました。それは富士信仰が盛んな折のことです。当社の創建と深く関わる、
日東木食遼天和尚(HPを参考にしてください)が「寛政8年富士山頂より金明水を汲み来たりて、墨を
すり、大乗妙典を一字一石に浄書し社殿脇に富士小山を築き碑を立てて町内(今の気仙沼)安穏を誓
願した」と古記録にあります。その富士小山が近年松食い虫の被害にあい、4、5本生えていた古い松
の大木も皆枯れてしまい。このままでは境内もみすぼらしく、境内の拡張という計画もあったので、富士
小山を撤去する事にしました。でも一つ気になることは、大乗妙典一字一石供養碑は存在するものの、
本当に古記録にある様に、お経を浄書した220年前の石があるのだろうか?でありました。いずれにし
ても富士小山は現存した物だから、撤去しても、その後方に富士小小山(ホント小さくて申し訳ないです
けど・・・)でも作って、富士の金明水を供えて、お鎮めしようと言う事でした。
ところが富士小山をパワーショベルで撤去し始めて数日後、重機のオペレーターの方が呼びに来て、
おびただしい数の玉砂利が出てきました。そして、ハッキリとお経らしき文字が書かれていました。
その後も山の数箇所から玉砂利が発見され(多分位置にも意味があるのでしょう)、一応ほぼ全てを拾
い集め、改めて富士小小山の地中に埋め、市内の安全を祈願しました。
220年前の祈願石が古記録の通り発見されたのは驚きでした。その時の写真や、石の写真もあるので、
いつか日記に載せたいと思います。
というわけで、Mさんに金明水を頂いてきてって頼んだのですが、金明水は彼等が登りついた山頂の反対
側にあるそうで、日本一のお山は、山頂、おかまの反対側に行くだけで大変だそうで、今年は銀明水で
我慢してください。来年は必ず!!ということでした。来年は兎歳ですから、飛び跳ねるように登山して、
金明水をGETしてもらいたいものです。
富士小小山と一字一石供養碑、浅間神社です 大乗妙典一字一石供養碑。見えますか?