北野神社
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Archive for 1月, 2011

厠の神様

2011年 1月 28日

昨年、植村花菜さんが、亡き祖母との思い出や自身の半生を表現し、大ヒットした曲「ト

イレの神様」。紅白歌合戦でも歌われました。日本のしきたりを、柔らかく優しく伝え教え

ながら、孫の心身共に健やかな成長を願う。そしてその祖母に様々な感情を抱き成長す

る様子。まさに典型的な日本の家庭のようであり、聞いていて心が豊かになる良い歌で

すね。

さて、その植村さんのお祖母さんが仰る通り、日本では古来より厠には神様がいらっし

ゃるとして信仰されてきました。厠だけではありません。上棟の時にお祀りした神様や、

釜戸の神様、お風呂や御水神様、お家には様々な神様がいらっしゃいます。ことに厠は

唾を便壺に吐いてはならないとか、裸で便所に入ってはいけないとか、和歌山県の北部

地方では、厠には咳をしてから入らなければならず、便所に唾を吐くと盲目になるとうい

う伝承もあり、様々な禁忌が全国で伝承されているようです。禁忌とは逆にご利益もあっ

て、植村さんのお祖母さんが仰るような厠を綺麗にすると美人になるとか、妊婦さんが便

所掃除をすると、可愛い子供に恵まれるなどの信仰もあります。お正月には注連飾りを

したり、お幣束を奉ったり、お供え餅を上げたりする地方もあるようです。

神道では主に厠の神は、古事記や日本書紀の神話に見るところの、植山神と水波能売

神とされており、往古より上記に示すような信仰、感謝と祈りが捧げられてきました。

先日も、トイレを水洗トイレに改修するということで、お祓いと感謝のご祈祷をしてきまし

た。様々な神の恩恵に感謝し、畏敬の念を持ち、例えば厠を埋めて改修する、その時は

長年の恩恵に深い感謝と祈りを捧げる。これは神の国日本に於いて、常に神々と共に

生きる、日本人の在るべき姿だと思います。

ところが最近、地鎮祭はするものの、解体のお祓い(感謝のご祈祷)などをしなかった

り、トイレや台所などは、一部改修だからと、何も神事を行わず、事を行っている様子が

あるようです。その方々は特に神々に対する感謝の念が無いと言う訳ではないようで

す。ただ気づいていないと言うことに尽きるのでしょう。

今は植村さんのお祖母さんのように、日本の風習や伝統を、子々孫々に語り繋いでくれ

る、ご年配も少なくなったようです。近代化された設備や技術も、神々の存在を感じづら

くさせているのも事実でしょう。 この様な時代だからこそ、我々神主が奮起して、教え

伝えてゆかなければならないと深く感じています。

そのような折、「トイレの神様」が若い女性によって歌われ、若い方々に多くの支持を受

けている。親から子、子から孫へ、麗しい日本の伝承。何か一筋の光明が見えた気が

し、歌に感動しながら、そして何か嬉しくなりました。

いいお話のお裾分け

2011年 1月 27日

今日は大安吉日です。加えて、天気も良く、少しですが、暖かい一日です。

今日は外のお祭りがあったり、ご祈祷があったり、神社も賑わっています。

昨日は宮城県神社庁で会議があり、菅原(章)権禰宜が出かけてきました。

今年初めて、お会いする方もいらっしゃったので、会議後も話が弾み、帰宅は

今日になっていました。 

昨夜お食事を共にした神主さんで、以前も日記でご紹介いたしましたが、白石

市、神明社さんの神主さんがいらっしゃいます。この方は神社のHPをお持ちで

ブログも書かれています。(神明社さんのHP http://s-shinmeisya.jp/

私もしばしば拝見しにお邪魔し、たまにはネタを失敬させて頂くこともあります(笑)。

先日拝見した神明社さんのブログで、涙が出そうになった良いお話がありました。

昨夜転載許可を頂いたので是非読んでみてください。「以下神明社HPより転載」

「先日、トルコの軍艦エルトゥールル号にまつわるお話を聞きました。

恥ずかしながら知らなかったのですが、いいお話だったので忘れないうちに小欄でご紹

介させていただきます。

明治23年(1890年)9月に和歌山県沖の大島の近くで台風の直撃を受けたトルコ(当

時のオスマン帝国)の軍艦エルトゥールル号が沈没しました。

587名が亡くなったのですが、大島の島民が自分たちの危険もかえりみず、非常用の

食料までも分け与えるなど出来得る限りを尽くして69名の命を救ったそうです。

生存者は日本海軍の軍艦で丁重に送還され、亡くなった方は丁重に葬られたそうです。

詳しくはインターネット上にいろいろあるので見ていただきたいのですが、そのことは今

でもトルコの教科書に載っており、トルコの方々は日本人に対し親愛の情を寄せている

のだそうです。

時は流れて昭和60年(1985年)3月、イラン・イラク戦争の真っ只中、イラクのサダム・

フセインが「今から48時間後に、イラン上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」と世界

に向けて発信しました。

世界各国は自国の救援機を出して救出していましたが、日本政府は素早い決定、対応

が出来ず、空港にいた日本人はパニックになっていたそうです。

そこにトルコ航空の飛行機が2機到着し、日本人215名全員を乗せて成田に向けて飛

び立ちました。

タイムリミットの1時間15分前だったそうです。

なぜトルコの飛行機が日本人のために来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなか

ったそうですが、前駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は、

「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な

救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。

私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。トルコでは、子どもたちさえエルトゥール

ル号のことを知っています。

今の日本人が知らないだけです。

それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」

と語られました。(あるところから転載しました)

何ともすごい話ではないですか。

当時の日本人の精神のつよさと美しさ。トルコの方々の100年も前の恩を何倍にもして

返す心。

それに比べると日本政府の対応は本当にお粗末でお恥ずかしい。

今の政府はもっとお恥ずかしい対応をするのではないでしょうか?

常々、思っているのですが、私がそのような状況になった時に自分のことをかえりみず

献身的な行動が出来るだろうか?

普段そんなことを言っていて、実際そんな場面になったら本当に的確な判断が出来るだ

ろうか?

難しいかもしれません。

でも、こんな話を知っていればその時の判断に役立つかもしれませんね。

もっともっと語り伝えられるべきお話です。

エルトゥールル号遭難の前年には青森県つがる市車力沖でアメリカの貨物帆船チェス

ボロー号が座礁沈没する事件がおき、この時も地元村民が総力を挙げて必死の救出を

行い、乗組員23名中4名を救助するということがありました。

昨年、研修で伺った髙山稲荷神社近くには慰霊碑があり、神社の参集殿には救助の様

子を描いた絵が掲げられています。

明治の日本人のこのような精神の高さは伝えていかなければなりません。」

以上です。私の思いは、神明社さんの神主さんが語ってくれていますから、特に申す

事はありません。ただ、同じ日本人として、この様な先人たちがいたことを、誇りに思い

ますし、これからもかく在りたいと願うものです。

話は変わりますが、皆様に読んで頂いているという意識をもっと持とうと思い。天神山

日記にコメント機能を付けてみました。何か日記に対するご意見、苦情等ございました

らお寄せ頂ければ幸いです。

今日は初天神

2011年 1月 25日

今日は1月25日、初天神です。午後3時から初天神祭を行い、その後鎮座330年

奉祝奉賛会の発会式があります。それらに先立ち1時半からは神社役員会です。

330年記念事業として神楽殿を建設する予定です。その神楽殿は氏子皆様の祖先の

御霊を祀る祖霊殿も兼ねます。そんなこんなの話も出るでしょう。今年初めのご縁日、

今日は忙しい一日になりそうです。

             

    さっとしたスケッチですが、このような神楽殿が造られる予定です

各時代の神社建築様式

2011年 1月 24日

今日は雪の一日です。積もることは無いものの、今年は毎日雪が降っています。

さて、今日は神社建築についてちょっと話してみようと思います。

                  

社殿建築には材木から切り出した、角柱と、角柱の角を落としてさらに製材した円柱が

用いられます。本殿(ご神体が鎮座する殿)では内陣(一番奥の間)は円柱、庇や向拝

(神社の正面)には角柱を用いるなど使い分けています。また、本殿の梁や桁を受ける

「組物」はそもそも寺院建築の要素でしたが、奈良時代には神社建築でも「舟肘木」が

用いられるようになり、平安時代後期になると、さらに装飾的要素が加わり「平三斗」が

導入されます。桃山時代には「斗」を手前に持ち出す「出組(一手先)」が全国的に流行

し、江戸時代には「斗」がさらに持ち出す「二手先」や「三手先」などにより複雑な「組物」

を持つ社殿も作られました。

日光東照宮本殿の組物は最高格式の「三手先」、昨年国宝指定された久能山東照宮

本殿には「二手先」が使われています。広島厳島神社祓い殿では円柱の上に「平三斗」

を載せ平安時代末の平清盛による造営当時の形式を今に伝えています。京都下鴨神

社幣殿では柱上に「舟肘木」が用いられ、島根出雲大社本殿は組物を用いず、柱上に

直接「桁」を載せています。

それぞれ創建時の時代に応じた社殿建築になっています。今後神社をご参拝の折は、

そういった所にも着目しお参りなさったら、一層有意義な参拝になると思います。

因みに当社は本年、御鎮座三三〇年を迎えます。現社殿は240年前のものと考えられ

ます。社殿の組物は(専門家ではないので良く解りませんが)「二手先」が用いられてい

るようです。まさに江戸時代を代表する神社建築と言えるのではないでしょうか

   

当社の組物です。向拝は角柱を用いていますが、その他は円柱を用いています。

柱上は写真のように二手先でしょうか。古い社殿ですが、時代を感じさせるものです。

職人魂

2011年 1月 23日

昔ある発注主が、ある職人に神輿製作を依頼したのですが、大体形が見えてきた辺りに

神輿を見に行った発注主が、自分のイメージした神輿ではないと、注文をキャンセルした

らしいです。その神輿は未完成のまま倉庫に眠り、たまたまそれを見つけたある神主

が、未完成の神輿を買い取り、再び倉庫に眠らせていたそうです。

さてさて、今年は当社御鎮座330年に当たります。本年一年を奉祝の年として、様々な

事業を行ってゆく予定です。

20年前の310年記念の時には、神輿を修理しました。普段のお祭りで使用していた神輿

です。そしてそれとは別にもう一基、二まわり程大きな神輿が新調されました。

それは長年神社倉庫に眠っていた未完成の神輿でした。 そうです、冒頭たまたま未完成

の神輿を見つけ求めた神主というのは、当社の先代です。

310年記念の時には、今の宮司に代は変わっていましたが、小さい普段用いている神輿を

修理に出した際、その神輿職人に、そういういわれの未完成の神輿が在ると、たまたま話に

出したら、その職人いわく「その神輿を、志半ばで製作を中断せざるを得なかった、その職人

の気持ちを考えるといたたまれない。同じ職人として、その人の無念さが良く分かる。これも

何かの縁だ。金なんかいい!俺がその神輿を完成させてやろう」というニュアンスだったらし

いです。でも当社の総代会としては、じゃあタダって訳にもいかないだろうから、幾らかは・・・

ってな感じで浄財を募り、見事立派な神輿が二基完成しました。それが20年前の話です。

職人魂ってのは、損得では無く、まさに魂なんだなあと、その話を聞いたとき思いました。

その職人さんも100歳近くまで生き、天寿を全うされたと聞いていますが、そういう職人魂が

これからもあり続ければ良いなあなんて、勝手に思ったりしています。

今年330年事業では、神楽殿を新築する予定で、ただ今奉賛会を結成し、試行錯誤を重ねて

います。 皆様是非御奉賛をお願いいたします。

      

新調された神輿です。               こちらは修理した神輿です。