北野神社
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Archive for 5月, 2011

一景島神社の惨状

2011年 5月 16日

今日は大安吉日でした。天気も良く、お参りの方も気持ち良くお参り出来たのかと思う

のですが、天気の良い日は震災以来臭いが凄いのです。漁業冷蔵庫などから流れ出た

魚類が腐敗しての臭いだと思うのですが、商業被災区から結構離れた当社にまで臭い

がきます。早く瓦礫や臭いが無くなって、かつての気仙沼らしい爽やかな潮風が吹いて

くれることを願います。

さて、今日は気仙沼で津波により倒壊流失した一景島神社に羽田神社の尾形知洋さん

と一緒に行ってきました。一景島神社は、弁天町という所に鎮座していますが、かつて

気仙沼が埋め立て開発される前は、海の中の浮島で橋が架けられていました。弁天様

と呼ばれとても風情に富んだところでした。  今回の津波で社殿は跡形も無く無くなり

ました。神社の面影を残すものは、散乱する神社付帯の石物です。中には弁天様のお

姿も在ります。津波の瓦礫の撤去は行政に委ねる他ありませんが、なんとか石物だけで

も救済したいと思いました。石だけに大変でしょうが・・・。

    

沖縄返還記念の日

2011年 5月 15日

今日はとても天気がいいです。震災の慌ただしさでご紹介も出来ませんでしたが、境内

は梅の時期、桜の時期を経て、今は若葉の時期になっております。境内に沢山ある、つ

つじの花も咲き始めました。気仙沼は市内の至る所で震災の爪あとが残る現状下、当

社付近は、幸い被害も無く災害を感じさせない所であります。それゆえか、天気の良い

日は多くの方々が散歩などお出でいただいております。少しでも心を安らげていただけ

れば幸いと思います。

さて、今日は沖縄返還記念日です。沖縄は先の大戦で唯一地上戦が展開され、おびた

だしい犠牲が出た地であり、日本が米国の占領下から開放された後も、対アジアの軍

事拠点として米国の支配下にありました。それが昭和47年の今日、五月十五日に開放

されました。沖縄の方はもとより、日本待望の返還だったでしょう。

今、領土問題で北方領土も我が国の宿願であります。ある講義で、ロシアは冬になると

主要港の全てが氷で閉ざされる。唯一凍らない港が北方領土である。ロシアは軍事戦

略的に北方領土を手放せない理由がある。と聞いたことがあります。しかし歴史上、北

方領土は明らかに我が国の領土であります。その事については、引き続き市民意識の

高揚を図らなければなりませんし、政治的にも確固とした態度で臨んで欲しいと思いま

す。

先の大戦で地上戦が行われた沖縄は廃墟と化しました。当時の沖縄県民は耐えがた

き苦難を味わったことでしょう。しかし沖縄は、琉球王国の面影を残しつつ見事復活しま

した。 日本は様々な苦難逆境を乗り越え成長してきました。私たち東北も負けずに頑

張ります。

  

この春より着工予定でありました、当社御鎮座330年記念事業、神楽殿祖霊殿建設事

業は、この度の大震災に伴い来年以降に延期になりました。震災以降、仮の祭壇を設

け、震災犠牲者の御御霊を招魂し御慰霊申し上げておりますが、祖霊殿が完成いたし

ましたら、そちらに安置し、慰霊の祭りを永に行ってまいります。

心のよすがを守るには

2011年 5月 14日

先日神社庁の災害対策委員会に行ってまいりました。神社界としては、物的、精神面の人道支援、

被災神社への支援、被災神主への支援、様々な方向からの支援の模索、検討が必要となるでしょう。

特に氏子、集落と神社の関係性という面に関しては、非常に難しい問題です。現在三陸地方では、

津波浸水域への建築許可はおりない方向性で進んでいるようです。つまりは居住区の高台移転構想

というもので、今後津波が来ても、居住区は確保されるという復興ビジョンかと思われます。しかしその

中には、前述した、集落、氏子と神社の関係性といったものはまったく考慮されていないものと思います。

今後瓦礫などが撤去されて行くと思われますが、今のままでは神社境内も道路も民家みんな一緒になって

しまうのでしょう。

私たちは、人々の精神的支柱を担っていた神社を、なんとかして守ってゆかなければなりません。しかしなが

ら今回の震災、津波で、神社建物はおろか、ご神体まで流失してしまった神社にとっては、当面は鎮座していた

地を聖地として守ってゆくしか術はないと思います。今後復興の過程の中で、氏子の移転と共に神社も移転する

のか、でも移転先にはその土地の氏神様が存在し、その兼ね合いはどうするのか。それとも、あくまで由緒

ある地にそのまま鎮座すべきなのか。神主や氏子、時には神社庁などの助言を得、検討模索されてゆくのでしょ

うが、先ず以って今は、鎮座していた聖地を守っていくよう、守るべく働きかけや運動を行ってゆかなければ

なりません。

今、被災地では、一日、一日を生きてゆくことで精一杯だと思います。確かにそうだと思います。そんな時に信仰

なんて・・・と思われる節もあるかもしれませんが、逆にこんな時だからこそ信仰だと思います。 

なぜなら人間の最後のよすがは信心しかないからです。

神々と氏子皆さんの一日も早い復興を祈って・・・

賀茂神社さんの復旧支援を終えて

2011年 5月 9日

賀茂神社さんの復旧作業が予想以上に大変で、体はクタクタおまけに筋肉痛。普段の

運動不足が祟ったようです。ですから日記を書く体力も無くおりました事をお詫びいたします。

何とか賀茂神社さんの社務所内を素足で歩ける位まで復旧することが出来ました。津波の

運んできたヘドロは、細かい砂状で畳の奥まで入っていました。ちょっと買うのには勇気が要

りましたが、高圧洗浄機ケルヒャーは畳の砂出しに良い仕事をしてくれました。中々いい物です。

今後は当社の汚れもこれで落としていこうと思います。

賀茂神社さんは、幸いなんとか復旧出来る範囲の被害でした。すぐに復旧活動に入れば、

もっと早く目処がついたのでしょうが、小原宮司さんはご自身のことより消防団部長としの務め

や不明者捜索、地域のまとめ役を優先されました。結果的に神社や社務所の復旧が後回しに

なりました。今現在も避難所で氏子皆さんと生活を共にし、頑張っていらっしゃいます。本当に

地域に根ざした神主さんだなあと心から尊敬しています。

これから集落の高台移転構想などを主導してゆくようですが、上手く事が運べば良いと願って

いますし、距離が離れても、氏神様と氏子さんがより密接な関係を築いていって頂ければと思

います。

宮司さんは愛車の軽トラとワゴン車、船を流されました。誰か支援物資で軽トラくれないかなー、

と言っていましたが、尊敬はしていますが、遠慮無しに言いたい事を言う先輩です。

と言う訳で、どなたか使い古しで、あげても良い軽トラありましたら宜しくお願いします(笑)

明日は大安ですが天気が荒れそうです。あまりひどくならなければいいですが・・・。

賀茂神社さんの復旧作業

2011年 5月 2日

早くも5月になり、今日は2日です。本日はかねてから予定していた気仙沼市唐桑町賀 

茂神社の復旧活動に米倉禰宜と共に行ってまいりました。賀茂神社が鎮座する唐桑町

小原木地区も津波で壊滅的な被害を受けました。賀茂神社も社務所内1メートル完遂

し、お宮も津波をかぶり、相当の被害が出ました。しかしながら不幸中の幸いで、社殿

は建具が一瞬で流されたことで社殿内部も、縁の下も通水性が良かったのか、倒壊流

失は免れました。社務所はこの日記でも紹介したとおり、昨年9月に竣工したばかりの

建物です。建物自体の丈夫さと、立地条件が良かったのか津波の直撃波が無かったよ

うで、倒壊は免れました。でも内部まで冠水したので、今日の作業は床板をはずし、基

礎内部に溜まっているヘドロ等の除去作業でした。これから基礎内部を真水で洗浄し、

断熱材を敷き、再度床板を張り、畳を洗浄するといった作業になります。

今日はちょっと大工さんの真似事をして、少々くたびれました。明日、明後日まで作業を

行いますが、早く賀茂神社さんが宗教活動を行えるようになり、地域の皆さんの憩いの

場として復旧してくれればと願います。