北野神社
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Archive for 7月, 2011

今日は土用の丑の日

2011年 7月 21日

今日は夏の土用、丑の日です。夏バテ防止にうなぎを食べる風習がありますね。気仙沼では老舗

のウナギ割烹のお店が被災してしまいました。再びあの味を堪能できる日が来ればいいなと思います。

連日30度越えの猛暑が続いていましたが、昨日今日と過ごしやすい、というか肌寒いような気温です。

10度近く温度差がありますので体調管理に気をつけなければなりません。

さて、妻が嫁入りして10年。妻にしてみれば社家である我が家の風習を憶え、慣れるのに随分苦労した

事と思います。一方で妻が我が家に持ち込んだ風習もあります。その一つが紫陽花です。

土用の丑の日に紫陽花を採って吊るしておくと、一年無病息災、そして何より、その年はお金に困らない

というのです。妻は生家の母から受け継ぎ、義母も受け継いだ風習らしいですが、特段由来もわからずに

続けているようです。今日も妻が何気なく紫陽花を採って来たので、このIT社会、同じような風習がある

のかと調べてみましたら、あらまあ!全国的とは言わないまでも多くの地域で同様の風習があるのですね。

文化伝統、風習などを伝える身でありながら、今まで知らなかった・・・オハズカシイ・・・。妻に陳謝。

でも紫陽花が厄除けになって、お財布事情にも好影響を及ぼすというこの風習、由来が分かりません。

その内調べてみようと思いますが、良いといわれる物は行ったほうが良いと思います。今年の夏の土用

丑の日は8月2日にもう一回ありますので、皆さんチャンスです!!

           

今年の紫陽花とドライフラワー化した去年の紫陽花です。この一年お守りいただき有り難うございました。

無病息災、お金に困らないという感覚より、一年間無事に過ごさせて頂いた事に感謝ということですね。

とくに今年は震災があって、生かされた命を実感しています。犠牲になられた方々の分まで日々を大切に

生きなければなりません。今年の紫陽花さん、一年間よろしくお願いします。

祈りの場をご家庭に

2011年 7月 16日

7月も半ば過ぎました。毎日猛暑が続いております。菅総理はお盆までに仮設住宅を、と言って

ましたが気仙沼はどうなんでしょう?まだ用地の確保に難儀しているようです。順調に事が進み

一先ずの安住の地を得られることを願ってやみません。

さて、今日は平貝八雲神社のお祭で神楽を奉納しに米倉禰宜と共に行ってきました。ここのお祭

では必ず叢雲(ヤマタノオロチ退治)ムラクモという神楽を奉納します。大蛇を退治した際、三種の

神器の一つ、草薙の剣を得ますが、別名を天の叢雲の剣とも言います。ヤマタノオロチは島根県

東部と鳥取県西部を流れる斐伊川の氾濫が起源というのが定説ですが、その退治は治水を意味

するものであったと思われます。

今回の津波ではまさかとは思われますが、川からも濁流となって襲ってきました。その被害は想像

を超えるものがあり、宮城県石巻市の大川小学校では北上川を5キロも逆流した津波に、多くの尊く

幼い命が犠牲となった事はご承知の通りかと思います。川の治水とは少し違いますが、もうこんな

悲しい事が起きないように、荒ぶる水を治める。そのような気持ちで今日はお神楽を奉納しました。

                 

話は変わりますが、日本の総氏神様として崇められている伊勢の神宮。何処のご家庭でも神棚の

中央に天照皇太神宮のお札がお祭されている事と思います。この度、伊勢神宮様より津波の被害

にあわれ、仮設住宅等でお住まいの皆様にと小型神棚が贈られました。また本年のお札は昨年末

に一度初穂料を献じて頂いているという事から、お札も再授与頂ける事になりました。

今日の三陸新報(地元紙です)で趣旨の広告を掲載いたしました。今後支部の神職で仮設住宅地に

頒布に伺う予定です。アパート等にお住まいの方々にもお頒け致しますので、お近くの神社までお問

い合わせいただければと思います。日々の祈りから、感謝、絆、希望の道筋が見えてくると思います。

是非祈りの場を各ご家庭におつくりください。

       

背面に穴が開いていますので壁などに掛けてもお祭りいただけます。壁掛けフックもお付けします。

この内容は気仙沼市仮設住宅居住家庭等を対象とした神社庁気仙沼支部の活動になります。

宮城県神社庁では県内被災地区の各支部で同様の活動を行いますが、時期や方法については支部

により異なります。

漁船の支援

2011年 7月 14日

今日も朝から天気が良く暑い一日になりそうです。

当社宮司が大学時代、行学とお世話になった神社、神奈川県川崎市の稲毛神社さん。

先代の宮司さんや、お婆様、ご家族の皆さん、氏子の皆さんと過ごした懐かしい日々を

よく最近話します。50年も前の事を最近の事のように話す、宮司も歳をとったんだなあと

何となく思います。 神主は最初に勉強させていただいた神社での体験が、案外長い神

主人生のベースになることがあると思います。私もそうですし、宮司も稲毛さんがそうなんだ

ろうと思います。

さて、震災後、稲毛神社さんからは物心両面にわたって様々なご支援を頂きました。当社宮

司との御縁は50年も前だというのに本当に有り難い限りです。そして更に稲毛神社の神輿

連の方を通じて、漁船を船を流された方に支援したいというお申し出がありました。当社から

唐桑町の漁師の方々に趣旨を伝え、先ずは三陸の漁場に合う船かどうか先日当社宮司と共

に現船を拝見しに上京し、有り難く支援していただくことになったそうです。

支援主の方は羽田の漁師さんとの事ですが、稲毛さんとのご縁から、羽田の漁師さんと三陸

の漁師さんとの絆が生まれた事、大変うれしく思います。あとは東京から唐桑まで回航して運

ぶそうですが、房総半島から三陸まで荒海が続きます。気をつけて来てくれればと願います。

         

神様の仮設住宅?

2011年 7月 13日

今日も熱い一日でした。梅雨らしい梅雨もなく、いきなり夏本番になってしまいました。電気不足も

気になりますが、水不足は大丈夫でしょうか?

さて、今日は羽田神社の尾形禰宜さんと共に、仙台市、大崎八幡宮さんにお預かりものを頂きに

行って参りました。お預かりものとは小社殿です。昨日の一景島神社の小社殿もそうですが、東京

の神社さんより、津波の流失被害にあった神社さんへとのご厚意であります。どれ位先になるか分か

りませんが、神社の本宮が建立されるまで神様にお鎮まり頂く、差し詰め神様の仮設住宅といった

ところでしょうか。

今回の社殿は江東天祖神社さんよりご支援いただいたもので、上野の下谷神社の宮司さんが仙台

まで運んでくださったとの事。本当にありがたい限りです。今回の小社殿は瀧上神社里宮の神殿と

させていただく予定です。

        

国宝の大崎八幡宮です。こちらの宮司さんも震災支援に精力的に臨まれました。気仙沼も様々な支援を

頂きました。社務所等の建物を拝見するに、各所に地震による損壊が見受けられ、ご自身の奉務神社も

大変だったろうに・・・。と、有り難くも申し訳ない気持ちになりました。

                  

今回ご支援いただいた社殿です。とても立派な社殿です。

瀧上神社さんは自宅社務所も流失し、宮司さんは仮設住宅にお暮らしです。今、神社庁気仙沼支部で

おまつり出来る体制を整えるべく作業を行っていますが、それまで、当社社務所前でお待ちいただきます。

一景島神社復興の一歩

2011年 7月 12日

気仙沼市内で流失した神社。今日は一景島神社でお祭がありました。一景島神社の神様は

震災の津波により御社殿御神体と共に、しばしお隠れになっておりましたが、今日の招魂鎮

魂祭で元の聖地に無事お鎮まりになりました。以前にも日記で書きましたが、神社は人と人

をつなぐ、その支柱として、過去連綿にわたって受け継がれてきたものであり、現在をお預かり

する我々も未来への贈り物として大事に継承してゆかなければなりません。個人のものでもなけれ

ば、一時代のものでもない、だから単に人を結びつけるだけではなく、過去と現在、そして未来とも

時を越えて結びつける尊さが在るのでしょう。

今回の災害で、流出神社は存亡の危機にありました。震災直後の境内の荒れ模様、その凄ま

じさに、しばし呆然としましたが、しかし神社の存在意義を理解する県内外多くの方々のご尽力

のおかげで、一先ずは復興へ向けてのスタートラインに立つことが出来たと思います。

一景島神社は郷土郷民復興の為に御神威をもってお力を発揮してくれる事と思います。そして、

街と市民の復興と共に神社も再興してゆくでしょう。頑張ろう東北、神様と一緒に。

   

今日は神社庁災害対策委員会の皆さんや、宮城県神道青年協議会災害対策本部の皆さん、

気仙沼支部内神職の皆さんが、境内に注連縄を張るなどの作業を行いました。遠くは栗原市、

仙台市、白石市からもお出でいただきました。神社は地域の宝です。ご尽力に感謝です。

   

御神霊を招き鎮め、更に復興を祈念するお祭が行われました。神社の総代さん方も各避難先や

仮設住宅等からお集まりいただきました。自分たちや街と共に神社も復興させるという、強い決意

のような眼差しを感じ取れました。

ふとお昼頃思い立ったのが、鳥居っぽいのがあったほうが良いかも?と思い、当社の廃材で失礼

でしたが、ペンキを塗って魚の骨のように細い鳥居を作ってみました。30分で作った素人大工です。

建ててみたらあまりに貧弱で止めれば良かったと思いましたが、総代さん方からは、こんなのでも

鳥居があったほうが神社らしいといわれ、幾分救われたような・・・。参列の総代さんの中に大工さん

が居たのです。ハズカシイ・・・。早く立派な物を作ってください・・・。