北野神社
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Archive for 8月, 2011

いつの間にか8月も終わり

2011年 8月 31日

例年ですと神社の8月は一休みの月になります。今年はこの様な状態ですので社務や神事も

少ないのですが、何故か何かと慌しく時が過ぎてしまいました。カレンダーを見れば今日で8月

も終わりです。気付けば日が暮れるのも早くなりましたし、朝晩は涼しさを感じるようになりました。

暦の上ではとうに秋ですが、体感的にも秋を感じるようになりました。慌しさにかまけて日記もさぼ

りがちでした。

この夏は被災された方々も、支援してくださる方々も、様々な想いを胸に迎え過ごした夏だったと

思います。8月最後の日、多くの人が過ぎ去った日々に様々な胸中で思いをいたしているのでは

ないかと思います。

明日からは9月、実りの秋と共に神社では秋祭りの季節となります。通常通りのお祭は出来ないかも

しれませんが、復興の実りともなる様お祭を行いたいと思います。当社最初の秋祭りは奉務社、紫神

社です。かぼちゃ祭で良く知られるお祭です。氏子地域は津波で壊滅的な被害にあい、神社社務所

にもまだ避難されている方々がいらっしゃいます。こちらからお祭の話しを持ち出すのは憚られるものが

ありましたが、避難されている氏子さん、被災された氏子さんの方からお祭をしようという気運でもって

今調整を行っています。半年間お世話になった神社にペンキ塗りなどのご奉仕も考えてくださっている

ようです。常時、非常時に関わらず、神社が氏子の皆さんの心のより所であることに感慨を覚えるもの

です。

                

氏子さんより鈴虫をいただきました。秋の情緒です。

東京湾から無事帰港

2011年 8月 18日

先月中頃の日記で、東京羽田の漁師さんから漁船の支援のお話しを記しました。

改めてお話ししますと、当社宮司と古くからお付き合いのある、川崎市鎮座の稲毛神社さん。

稲毛神社さんの神輿連の方のお知り合いに羽田の漁師さんがいらっしゃって、三陸の漁師

さんへ漁船の支援をお考え下さり、漁師さんから神輿連の方、稲毛神社さん、当社、同支部

唐桑町賀茂神社さん、唐桑町の漁師の方と、多くの方々のご縁がつながり漁船5艘をご支援

頂きました。小型船3艘は陸送で運びましたが、比較的大き目の漁船2艘は陸送が出来ず、

東京湾から唐桑大沢漁港まで回航する事になりました。最初は先月末に羽田の漁業関係の

皆様から盛大なお見送りを頂き出航し、房総半島を回り銚子で一泊、2日目は塩竃港を目指

して出航しましたが、一艘が機関故障で那珂湊に寄航、それから修理と言うことで、一時船を

預け帰郷しました。お盆が明けた17日、那珂湊に出向き出航、小名浜にて一泊、そして今日

午後4時半頃無事唐桑大沢漁港に到着いたしました。延べ4日の航海でした。私も多少今件

に関わりましたので、お迎えをすべく大沢漁港に行ってまいりました。

東京から三陸まで多くの所で潮目や天候、波が変わり、色々大変だったようですが、とにかく

無事に到着されて良かったです。支援を受けたAさんは、津波により自宅も船も、奥様も亡くされ、

もう漁師も辞めようと考えたそうですが、今回の支援でまた海で生きようと決心されたそうです。

もちろん生業という点でもそうですが、生きる張り合いを持つと言う事が、人にとって大切なんだ

ろうと思います。一関係者と致しまして、今回のご支援に深く感謝いたします。

        

復興ののぼり旗をはためかせ入港してきました。東京からの長旅、船も人もご苦労様でした。

        

船を着けると船霊様にお神酒を捧げ祈られていました。

Kさん 有り難うございました

2011年 8月 17日

今日はお葬式に参列してまいりました。Kさん行年83歳のお葬式です。Kさんはそれこそ

昭和の時代から当社の非常勤職員としてお勤め頂き、亡き母や祖母の助けとなり、境内

の維持管理や、神社のよろず事にご尽力いただいた女性です。

巫女さんも居ない地方の小さな神社では、神主の仕事が半分、女性の力によるところが

半分といえると思います。当社に至ってはそれ以上の比率かもしれません。

私や弟たちが子供のころからお世話になり、Kのおばちゃんと親しくさせて頂きました。

そう思うと神社だけではなく、家庭的にもお世話になったのでしょう。

平成8年ころ祖母が床に臥せり、介護をしていた母が11年に急逝し、女性の力によるとこ

ろ大であった我が家、神社は途方にくれました。そこでもKさんは我々を支えてくださいまし

た。すこし体調を崩されていたKさんは平成13年に退職しましたが、その頃、小職の縁談

がまとまっており、妻の直権禰宜が嫁いでからも、何度か顔を見せて下さいました。

Kさんが床に臥せ、入退院を繰り返すようになってからは、お体を案じながらもお目にかか

る事もなくおりましたが、訃報に接しお見送りに参ずると、長き闘病生活を感じさせない、

とても安らかな綺麗なお顔で、懐古する我が身でありました。

母とも仲が良かったですから、お茶のみ友達として今後も宜しくお願いします。

Kさん長い間ご苦労様でした。ご冥福を心からお祈り申し上げます。

今日は終戦の日

2011年 8月 15日

今日は8月15日終戦記念日です。先の戦争が終結した日となりますが、何を以って終結したか

には色々あり、8月14日のポツダム宣言受託を承認した日であったり、9月2日の降伏文書に調

印した日であったり、天皇陛下の玉音放送による終戦の詔勅が発せられた日であったりするわけです。

連合国の統治下にあったころまでは「降伏記念日」として9月2日をもって記念日とされていたようで

すが、今の日本では天皇陛下が玉音放送で敗戦を公表した8月15日が終戦記念日となっています。

詔勅の「堪え難きを堪え、忍び難きをを忍び、以って万世の為に太平を開かんと欲っす」の一部分は、

今でもよくメディアで放送される事が多いですね。今はインターネットで色々調べることが出来る時代

になりました。是非先帝陛下の詔書、口語訳文などもあると思うので 、拝見をお勧め致します。先帝

陛下の大御心に心打たれるものがあるはずです。

先帝陛下が敗戦のときに詠まれた御製(御歌)に「降り積もる み雪に耐えて 色かえぬ 松ぞ雄雄しき

人もかくあれ」があります。敗戦の苦しみに耐えながらも頑張っている国民に向けたメッセージだと思いま

す。ここの御製の中にある「雄雄しき」。とても重い言葉であり、時の天皇様が国や国民の危機ここぞ、と

言うときに発せられるお言葉だそうです。明治大帝は当時、強国の脅威にさらされた時、「敷島の大和心

の雄雄しさは 事あるときぞ 現れにける」と詠まれました。

今回の震災で、今上陛下は我々国民に向けお言葉を発せられました。その時気仙沼はライフラインが復

旧しておらず、ラジオから流れる玉音を有り難くも拝聴いたしました。あれ程慈愛に満ちた、被災者の励み、

心の灯火になりうる言の葉は他にあるでしょうか。そうです、そのお言葉の中にも「雄雄しき」という言葉が

使われていますね。今上陛下が今回の震災をどの様に捉え、いかに被災者を想われていらっしゃるか、そ

の大御心をうかがい知る事が出来ます。

今日は終戦から66年。昭和天皇が国民の奮起と国の再興を願われてから66年が経ちました。そして激動

の昭和を経て平成の世になり、懸念される所は在るものの、見事日本は復活を果たしたと思います。

その日本にとって、今年は千年に一度と言われる大災害に見舞われました。今こそ「雄雄しき心」が郷土郷

民再興の力となることを願います。

              

当社の境内に昨年6月気仙沼地区遺族会により気仙沼地区戦没者慰霊碑が建立されました。

毎年同遺族会主催による慰霊祭が行われる事になっていたのですが、今年は震災の影響で、

遺族会の方々も被災していたこともあり、慰霊祭が行われずにいました。今日は市主催の戦没者

追悼式が行われる事に当たって、気仙沼地区遺族会皆さんは先立って当社慰霊碑を参拝いたし

ました。

慰霊碑には日清戦争から大東亜戦争までの郷土の英霊394柱が招魂されお祀りされております。

遺族会主催の慰霊祭とは別に、当社ではお盆であり、先の大戦終戦の日である今日を御霊慰め

の日と定めお祭りいたします。

また今日は、祖霊祭祀の日につき、広間内にお祀りしております東日本大震災犠牲者の方々への

御霊慰めのお祭りも行われました。

ん~どんなもんでしょう?

2011年 8月 12日

今日もお暑うございます。そろそろ高速道路ではお盆の帰省ラッシュが始まっているようです。

初盆を迎えるご家庭も多いと思いますし、通常ではない環境でご先祖を迎えるご家庭も多か

ろうと存じます。初御霊、ご先祖にどうぞ懇ろに御霊なごめ、ご供養をと願うものです。

さて、去年の9月から天神山日記を書き始め、徒然なるままに、思った事を書き留めてきました。

何方かに読んで頂いているという意識も乏しく、神社公式HPなのだからこれではいけないと思い、

責任感を持つべく敢えてコメント機能を付けたりしました。でも結局コメントもほとんど無く、また何

時の間にか、徒然なるままに思った事を書いてしまったような気がします。まあ地方の小さな鎮守

様なので、特化した出来事が余り無いと言ってしまえばそれまでなのですが・・・。

ところがです、昨日あたりから変なんです、日記が。外国人と思しき複数の方から大量にコメントが

寄せられるのです、しかも英語。過去の記事から最近の記事に至るまで色々で、内容も分からず

翻訳にかけてもよく分からず、凡そ日記の内容とは関係の無いような・・・。これは一体どういう状態

なのでしょう?あまりネットワークには詳しくないのでちょっと不気味です。

I don’t  know  Englishとでも返信しようかと思いましたが、気味が悪いので止めて、コメントは隠し

ておきました。でも震災の激励か何かのメッセージなのかなあ?だったら申し訳ないし、でも一気に

色んな人から来るのは変ですし・・・。ん~どうなもんでしょう?