んん・・・・。
2011年 8月 3日
先日被災した神棚について、皆様が悩まれていることに気づいたと日記で書きました。
何か策を講じなければ、と思っていましたが、他の神社さんにも影響を及ぼす事もあろう
かと思い、支部に確認を取り、許可をもらって被災神棚を神社にお納め下さいという旨の
新聞広告を掲載いたしました。朝から早速電話があり、数件の神棚が納められました。
今までお守りいただいて本当に有難うございました、と深々と頭を下げられた姿がとても
印象的で、常時にあっても、災害時であっても日本人の自然観と神観念は健全として在
ると深く感じました。
伊勢神宮より小型の神棚が贈られ、仮設住宅を訪問しお頒ちしている活動、以前にも紹
介しましたが、賃貸や受けそびれた方々に対応する為、神社でも随時頒布を行っており
ます。宮司が鳥居のところに掲げた看板がこちらです。
看板には「東日本大震災お見舞い申し上げます。被災された皆様に伊勢神宮より小型
神棚を差し上げます。社務所にてお受け下さい」と書かれています。通常神社(神様)か
らの御品は授与とか頒布などの言葉が使われますが、宮司が使った言葉はさし上げ
る、 「与える」「やる」の意の謙譲語で、その相手を敬う言葉になります。通常は神(今回
は伊勢神宮)から人に与えるのに、へりくだった謙譲語を使うべきではないのでしょう
が、出来るだけわかり易く、そして何より被災者の心情を想う対処だったのかと感じてい
ます。
そこに今日の午後一本の匿名電話が来ました。看板の表現が悪いと言うお叱りの電話
でした。差し上げるとは如何なものか、と言う話だったので、最初は神様からお受けする
のに対し、神社が差し上げるとはどんなものか、という事かと思いましたらどうも違うよう
です。このようなお叱りをいただきました。
「神仏を祀っていてもこのような災害に襲われる。ご利益もあったものではない。被災者
は皆そう感じているのに、更に小型の神棚を配ろうとする。だったらせめて「差し上げる」
ではなく、「貰って下さい」ではないか。そちらの神社は津波の被害が無かったから、解
らないだろうが、被災者の心情を想うなら上から目線の言葉ではなく、下から目線の言
葉を使うべきではないか」
との事でありました。畏くも伊勢神宮からの思し召しを「貰って下さい」とは我々の立場で
到底言える言葉ではありませんが、津波の被害を受けていないと言われれば確かにそ
うですし、被災された方に不快感を与えた事も事実で、そこに理論を振りかざすと言うの
も被災地の神社としてどうなのかと思い、素直にご指摘有難うございますと電話を切り、
看板をとりあえず撤去しました。
大きな自然の力、津波で車を流され、再度購入し大きな存在(神)に無事安全を祈る
方々多くいらっしゃいました。そして、先に申しました、津波に家屋を流されながらも、今
までお守りいただいて有難うございますと深々と頭を下げる方々もいらしゃいました。
一方で、神の無力を悟り、お控えなされと仰る方もいる。この未曾有の大災害時、様々
な面で気を配らなければならないのは確かなことで、我々神主も常時災害時に拘わら
ず、当然威張るべきものではありませんが、ただ神様だけは畏く尊い存在であるという
鉄則は、どんな時であろうと曲げてはならないのであろうと思います。
被災者の心に寄り添い、心の復興、街の復興を日々祈り続けていますが、今日はあま
りにも相対的な出来事があったので、悩める部分もあり、とりとめの無い日記になってし
まいました。スミマセン