北野神社
検索
カレンダー
2011年9月
« 8月   10月 »
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  
カテゴリー
メタ情報

Archive for 9月, 2011

恩師の昇級

2011年 9月 30日

 今日で9月も終わりです。あっという間に過ぎた一ヶ月でした。これから年末に掛けてますます早い月日を

過ごす事になります。外は雨模様です。

              

同じ支部内の神主さんにS先生がいらっしゃいます。S先生は岩手県からS家に婿として迎えられ、神主の

資格を取り神主の道を踏み出し、同時に中学校教職の道にも進まれました。何を隠そう、S先生の初担任

が私中学一年生でした。なんと申しますか、若気の至りと申しますか、模範生では当然無く、成績も振るわ

ず、三者面談で神主の先輩である当社宮司と私を前に、言い辛そうに話す先生のお顔を今でも憶えていま

す。その先生も2年ほど前だったと思いますが、定年を前に神職の道に専念し、宮司さんを助けたいという

想いで早期退職し、お神楽、研修会、懇親の場と、以前にも増して積極的に我々ともご交誼を戴いております。

学生時代S先生に掛けたご迷惑を思えば、軽々しく言葉を掛けるのも憚られるものがありますが、先生は本当

に謙虚な方で、神主の経験は貴方のほうが多いからと、それを真に受ける私も私ですが、私如きの話しもよく

聞いてくれます。ある時先生はまだお若いし、宮司さんもお元気ですから、もっと上の階位(神主の資格)を目

指してみませんか?どんな方法があるのだろうと仰ったので、こういう方法がいいのでは、と申し上げましたら

直ぐにチャレンジされました。またこんな研修があるのですが・・・と進言しますとそれも直ぐに受講する。当社に

来て神道神学、延喜式、祝詞講、神道史、神典等などの本を勉強したいからと借りてゆかれる。私などは還暦

過ぎたらゆっくりと生活したいなどと思っていましたが、先生のチャレンジスピリッツに脱帽です。神主は生涯勉

強(修行)だという事を、担任していただいてから25年以上経った今でも教えられています。恩師は何時までも

恩師ですね。

そのS先生が今日神職の身分が昇級することとなり、伝達式に仙台の神社庁に向かわれました。先生の実直な

お人柄、飽くなき探究心、そして何より氏子さんやもちろん我々にも誠実に相対される、その神主の本質を元来

持たれるS先生が上に認められ昇級されることは、恩師と仰ぐ神主の後輩として、教え子として本当に嬉しいもの

です。S先生のご自宅やS家御祖先が勧請した龍神宮は津波で流され、氏子さん方も甚大な被害にあわれました。

S先生は高台にある神社の社務所を修繕し住まわれていますが、これから氏子さんと共に復興を果たしてゆかな

ければなりません。S先生にはご健康に留意され、ご活躍をお祈りいたします。

稲作という神事

2011年 9月 29日

今日は大安吉日です。天気も良くお参りの方も多いようです。秋になり、気仙沼地方でも田んぼを見ると

黄金色に色付き、来月頃からは稲刈りが始まるものと思われます。放射能の影響は無いとの事です。

お米に限らず風評被害に頑張っている東北の産品をよろしく御願い致します。

さて、稲刈りといえば、昨日天皇陛下が宮中で稲刈りをなされました。なぜ稲刈りを、天皇陛下のご趣味

なのかと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、実はそう単純な事ではなく、稲作が天皇の存在意義、

日本文化の根幹に位置するからと考えることが出来ます。神話に基づきますと、皇室の祖神である天照大

御神の命を受け、お孫神様である邇邇芸命が稲穂を託され天孫降臨(この世界に降り立つ)の際、神勅

(お告げ)を受けられます。いわゆる三大神勅と言われるものです。

一、天壌無窮の神勅  『豊かな葦原の瑞穂の國は我が皇孫の王たる国である。天つ日嗣(ひつぎ)である

                                                    天皇が栄えること天壌と窮り無いものです(天地のある限り永遠に栄えます』

 二、宝鏡奉斎の神勅  『この鏡を私と思い、常に側におき、お祀りしないさい』

 三、斎庭(ゆにわの)稲穂の神勅 『高天原の斎庭の稲穂を、その国で大切に育てて継承しなさい』

以上が三大神勅と簡単な略になります。これらは狭義に捉えず広義に捉える必要があります。天皇が栄える

という事は、国や国民が栄えると同じ意味になります。そして、稲穂を大切に育てて継承する事がその前提に

なるということなのでしょう。つまり天照大神、邇邇芸命の直系である天皇陛下は、祭祀王たる御身を以って、

現代に在っても神勅を忠実に守り、国の繁栄と民の繁栄を祈られているという事になります。因みに天皇陛下

はお育てになった稲を、秋には伊勢神宮の神嘗祭、宮中での新嘗祭にお供えされます。

それと、日本人は産巣日(むすひ)と言う「生成」の信仰を稲穂に象徴しており、稲作に文化の原点を持っている

ことから、稲作を神事と捉える面もあると思います。延喜式に記載される中臣大祓に天つ罪の下りがあり、その

罪の内容は、田を壊したり荒らしたり奪ったりという事が重い罪と謳われています。それだけ日本人は古来より稲

作を神聖、重要視しています。ですから日本人は欧米に見られるような大量生産を追わず、労を惜しまず実直に

稲作を行う、結果的に美しい田園風景と共に美味しいお米が出来上がります。日本を表す古語に「大倭豊秋津島」

とか「豊葦原瑞穂国」があり、それには訳があると言うことですね。

日本の文化であり神事であり、突き詰めて言えば皇室や日本そのものと言える稲作。今外国の圧力の下、民主党

が進めるTPP、大丈夫でしょうか。物流の自由化という単純な問題ではない、何か日本の危機という感じがします。

今日は何時にも増して長かったですね、失礼しました。

凄まじや、近隣の惨状。

2011年 9月 28日

今日は宮城県神道青年協議会の活動で、お隣の支部、神社庁本吉南部支部管内の各神社

被災状況詳細の確認作業に行ってまいりました。お隣の支部ではありますが、主要道路とな

る国道45号線の橋が津波で流されたりしたので、長らく交通が難しい状況でした。交通が回

復した後も恥かしながら気仙沼市本吉町までだったり、三陸縦貫道や東北道を使うことが多く、

南三陸町方面に向かうことも無くおりました。気仙沼市から石巻市に至るまでの三陸沿岸は、

こう言っては大変失礼ですが、比較的小規模の街や漁港が点在します。それ故に被害が甚

大で、街の機能が辛うじて維持されている我が町に比べると、いくら車があるとはいえ生活環

境も大変であろうと容易に想像がつきました。同じ津波の被害でも場所場所で状況が違う事

を目の当たりにし、同時に求められる事や対応も違ってくるのだろう、それが東日本全体の広

範囲に及ぶことに、未曾有といわれる所以を垣間見ました。政局もころころ人や言う事やる事

が変わり、首を傾げたくなる事も多いですが、未曾有の災害には未曾有の対応で当たっていた

だきたいものです。

                 

西宮神社からの南三陸町志津川の被災状況です。ここには多くの方が避難されたそうです。

                 

三階建ての建物の屋上に車が・・・。如何に津波が凄かったことか。

                 

浮島に鎮座する荒嶋神社。目に映えた赤い鳥居も被害にあいました。

                 

三嶋神社からの南三陸町歌津です。国道に架かる橋も流され、まだ迂回しています。

                 

右手斜面上にある本吉町玖須師神社を仰ぎ見ようとちょっと高い砂利道に上ったら気付きました。

ここはJR気仙沼線の線路です。津波で埋まって砂利道に・・・。遠くにトンネルと線路が見えます。

                 

ここはおそらく南三陸町の防災センターです。防災センターですら・・・。

神楽道具

2011年 9月 27日

昨日26日は彼岸明けです。暑さ寒さも彼岸までと昔から言われますが、本当に朝晩は

寒い位に涼しく、例祭の時までは日中は暑かったものの、ここ数日で日中もすごし易い

気温になりました。

お祭の時奉納していただいたお神楽の装束や面を陰干ししていますが、乾いたようなの

でそろそろたたんで収めようと思います。

    

この神楽道具一式は普段、唐桑大沢の賀茂神社さんで管理してもらっています。賀茂 

神社さんの鎮座する大沢地区は津波で壊滅的被害にあい、神社、社務所も流失こそ免 

れたものの大変な被害にあいました。

             

当然お神楽道具も被災し、社務所に在った為流失は何とか免れましたが、海水と泥に

浸かってしまったので、一時当社にてお預かりし、現状を見ましたところ、染め生地なの

で洗濯も出来ないので、川の上流、清き流水にさらし塩気を抜くのがベストとの判断に至

り、気仙沼市神山川上流に鎮座する羽田神社さんのご協力を得て、無事神楽道具が

復旧できました。お面の塗装は所々剥がれてしまいましたが、それでも先人たちから

託された貴重な神楽道具を守れて良かったと思います。

今は各神社、秋祭りのシーズンです。神楽道具も大活躍です。当社でも先日奉納してい

ただいたように、復旧復興を祈ってお神楽を奉納したいと思います

LEDのすゝめ

2011年 9月 26日

信号機や車のテールランプ、もちろん家庭の中色々なところでLEDが普及してきました。

9月も月末になって日が落ちるのも随分と早くなり、改めて至る所でLEDが目立つなあと

感じます。電力不足ということも在って、震災後特に需要が高まったのでしょうか、店頭に

も多くのLED商品が並びます。

思い出せば震災直後、いつまで続くのか分からない電気の無い生活、社務所の広間でロ

ウソクの灯火ひとつで避難されていた方々と生活していました。夜間、廊下や階段を歩く時

は懐中電灯が必要でした。災害時の電池の買い置きなどしていなかった状況で、段々と暗く

なる既存の懐中電灯の不安をよそに、終止安定した光量で助けてくれたのがLED懐中電灯

でした。伊勢神宮の神宮道場での研修の際に求めたもので、研修時アルカリ電池を入れた

ままのものでしたが、消費電力の少なさもあって電池切れの気配すらなく、震災から半年経

った今でも使えているのが驚きです。

震災後、電力不足もあって、社殿内の電飾や灯篭などはLEDに換えてみました。そして今回

参道の外灯の器具故障を機に外灯もLEDに変えてみました。これがまたくっきり鮮明で明るい。

おまけに何十年という高寿命。まだちょっと高価なところが難点ですが、もっと普及が進めば価

格もこなれてくるでしょう。電気代も高くなりそうですし、CO2排出にも効果大だと思います。

何はともあれ、災害備蓄品にアルカリ電池とLED懐中電灯を是非ともお勧めします。