北野神社
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北野神社、節目のお祭

2011年 9月 25日

今日9月25日は当社、北野神社の例祭でした。昨夜は宵宮でしたが、両日とも天候に恵まれとても

良かったと思っています。本年当社は御鎮座より330年の節目の年でありまして、年当初の計画では

春秋の例祭や330年祭、記念事業を華々しく行う予定でありましたが、大震災の世情に鑑み規模を縮

小しながら行わざるを得ない状況でありました。それでも多くの皆様のご協力により大変良いお祭りが出

来ました。

               

昨夜の宵宮では、鎮魂復興太鼓として天神山打ち囃子会のご奉仕と、当社では初めて我々の法印神

楽の奉納がありました。地面に舞台を置き、注連縄を張り巡らしただけの屋根も壁も無い簡易な舞台で

したが、なにか自然に溶け込んでいるような感じがして、個人的には良かったと思っています。

当社のお祭なので、特別に君にも舞わせてあげましょう、という師匠の有り難くも粋なはからいで、1番目

の初矢を舞わせて頂きました。祭儀を奉仕して直ぐ出番だったので、カメラを誰かに託すことも出来ず、こ

れは(直)権禰宜の携帯の写真です。映りは悪いですが、舞台の雰囲気は伝わると思います。打ち囃子会、

そして神楽をご奉仕戴いた神職皆様に感謝申し上げます。

         

祭儀奉仕中のため写真を撮る事が出来ず、外にいる方にカメラをお願いしました。ですから外のお祓いの

画像しかありません。見た目に自信が無いので、あまり自分が写る事を好みませんが今日は写ってしまい

ました。

こちらも規模は縮小になってしまいましたが、今日は例祭と御鎮座330年祭を斎行しました。そして震災

復興、日本復興も併せ御祈願いたしました。

平成23年、北野神社330年祭の時に東日本大震災が起り、台風などの被害も含め天変地異が相次いだ。

そして祭儀に当たっては、神のご神威もあらたに、郷土や郷民の復興、我が日の本の復興安寧を祈願した。

今は未だ悲しいこの事実も、後の世の人たちに、教訓として伝えなければならない大切な歴史だとおもい

ます。神社は良しにしろ悪しにしろ、歴史を伝える役割も有します。その事を胸に刻み今日の祭儀をご奉仕

致しました。

紫神社例祭

2011年 9月 18日

昨日17日と今日18日は、浜見山鎮座、奉務社紫神社の例祭でした。南町、柏崎地区を氏子とします。

慶長十年(1605)斎藤四郎兵衛盛方というお人が越後柏崎より紫明神並に観音を勧請し移り住み、氏

神として奉斎した事を縁起とします。今も越後柏崎由来の斎藤家御一族が紫神社近隣に多く居住されて

いますが、鳥居前にも斉藤家末裔の邸宅があり、屋号も別当(意味は多岐にわたりますが、古い祀職の

呼称の一つと考えていいでしょう)を称しており、紫社の祭祀を司っていたと思われます。気仙沼市柏崎

(かしざき)の地名は斎藤家が越後の柏崎(かしわざき)から神仏を勧請し移住した事に由来するそうです。

氏神とは本来、固有の氏族の奉斎する神ということですが、氏子という言葉と共に、いつしか地域の鎮守

様の意味合いも持つようになりました。紫神社も今では南町、柏崎の鎮守様として崇敬されて居ります。

さて、紫神社の氏子地域南町は津波で甚大な被害が出た地域であり、かつ内湾に近いことから気仙沼の

歴史ともいえる町並みを形成してきた場所でもあります。震災時は130名を越す方々が避難され、その後

は多くの方々からの支援を戴きながら、今は南町の再興に向けて日々懸命な努力を行っております。

随分小規模になりましたが、今でも避難されていらっしゃる方が居り、例祭は祭儀のみの小規模で行うこと

も考えましたが、避難されている氏子さん方から、お世話になった、助けてもらった神社のために出来る限り

のお祭をしようということで、境内の清掃や、木々の枝打ち、社殿の塗装等の奉仕を戴き、更に八幡太鼓さん

の演奏奉納で華を添えていただき、賑やかなお祭を迎える事が出来ました。

            

今、南町仮設店舗復興計画という新たな目標を立ち上げ国や県などと折衝を行い、ふるさとの復興へ向けて

懸命に努力しています。氏子たちの奮起を氏神様も見守ってくれることと信じます。

多くの皆さんのご協力の下行われた今年のお祭、本当に良いお祭でした。

            

紫神社のお祭は通称「かぼちゃ祭」と呼ばれ皆さんに親しまれております。かぼちゃを使って人形を作ります。

時代を風刺する物や象徴する人形をつくり所狭しと境内に並べます。今年は少し寂しく復興ロボット一つでした。

また沢山並ぶようになれば良いと思います。

ご神前にはかぼちゃをお供えします。以前紫神社避難所に炊き出し支援等にお出で下さいました、山口県の柴

田病院、柴田先生からご神前にとご当地のかぼちゃをご恵送頂きました。謹んでお供えさせて頂きました。有り

難うございます。

紫神社へ。プレハブの支援

2011年 9月 16日

奉務社紫神社では、震災後から多くの方々が非難されておりました。今では多くの方が

仮設住宅等に移られておりますが、まだ十数名の方々が避難生活を余儀なくされてお

ります。また紫神社の鎮座する南町地区は商店街が隣接し、古くからの気仙沼の町並

みを形成してきた場所です。先日放送されたNHKの番組でご覧になった方も多くいらっ

しゃると思いますが、南町地区に応急の仮設商店街を建設し、様々な意味での復興の

シンボルとしようという活動があります。今南町青年会の会長さんはじめ、スタッフの方々

が早期実現に向け鋭意活動を行っておりますが、紫神社社務所はその事務所も兼ねて

おります。そこに仙台市の大崎八幡宮さんからプレハブ事務所のご支援のお話があり、

本日、小野目宮司さん他職員さん、運送会社の方が遠路運んできてくださり、午後一

番に搬入設置が完了し、譲渡式が行われました。南町復興のため、有効活用されること

と思います。

大崎八幡宮さんは全国から寄せられる支援物資の中心拠点神社になられたり、震災直

後より津波被災地域に物心に渡る支援を続けられてまいりました。先日大崎八幡宮さん

にお参りに伺った際、大崎八幡宮さん自身も地震による大きな被害が在りました。ご自

身のお宮さんも大変ですのに・・・。本当に有難うございます。

     

小型神棚の頒布に行ってきました

2011年 9月 15日

今日は残暑厳しい一日でした。お隣韓国では電力供給過多により停電になったようですね。今の現代社会は

電気の依存率が極めて高いです。その事は震災後のライフラインの停止で嫌というほど味わいました。電力不

足は経済にも影響を及ぼしますし、被災地に至っては復興の足かせになるのも必定です。安心安全、早期の

安定供給が望まれます。

さて今日は米倉禰宜、直権禰宜、五十鈴神社の神山宮司さんと共に、仮設住宅への小型神棚の頒布に行っ

て参りました。仮設が完成、入居完了の情報を市から得て、随時頒布を行っておりますが、今日はお留守の

ご家庭が多いようでした。7月の段階では平日でもご在宅が多かった事を考えると、震災後半年を経て、それ

ぞれのお仕事も動き出したという事なのでしょうか。一歩づつでも復旧、復興に向かっていると思うと、嬉しく思

うものです。

今日仮設住宅のあるご家庭にお邪魔してこの様なお話を伺いました。仮設の申し込みを根気強く行って、よう

やく仮設に入ることが出来た。そうしたらお宅諸共流された亡きご主人の位牌が遠く唐桑町で発見され、届け

られたとの事。単なる偶然ではないと思います。亡きご主人を想い、ご主人の御霊もまた、ご家族のもとに戻る

事を願っていたのでしょう。そして一先ずの安住の地を得たところでその想いが一つになりました。神と祖先に

見守られながら、これから頑張ってゆく、その感慨深くお話しされる様子がとても印象的で、これが一筋の光明

と言うものなのかと思いました。被災地では、まだまだ様々な苦難があると思いますが、どのような形であれ、

多くの方々が希望や生きがいにつながる、一筋の光明を見出されることを願って止みません。

息子のお山掛け

2011年 9月 13日

今日は恐縮ながら個人的なお話と、よそのお宮さんのお祭のご紹介をさせていただきます。

気仙沼市上羽田に羽田神社(尾形公夫宮司)さんがあります。http://www.k-macs.ne.jp/~hata-jj/

県の天然記念物であり御神木の樹齢800年を越す姥杉、次郎坊・太郎坊が有名ですが、もう一つ祭事とし

て有名なものが旧暦8月15・16日の「お山掛け」神事です。数え年7歳の男児(来春小学校に入学する

子供ということですか・・・)が羽田山に入山し、山中の月山、早馬、羽黒の各社を拝しながら、山頂奥の院

を目指し無事の成長と息災を祈願する神事で、400年以上の歴史を有します。普段は禁足地で、お山掛け

の神事の際も女人禁制となります。児童と共に大人も同行しますが、甘えが出ないよう父親の同行は許され

ておらず、また天候が悪くても、それはそれで修行には良いと言うことで、何か修験道の峰入りに通ずるもの

があるのかと思います。

私も幼少のみぎり、夜中に叔父に連れられお山掛けに参じましたが、車中で眠さに堪えながら、丸い月はな

んで私についてくるのだろう?等と感じていたことを憶えています。

今年は私の次男がお山掛けでした。将来どういった道に進むのか分かりませんが、健康に育ってこの経験が

彼の心に残り、人生の節目にプラスに働くことを願っています。

当社の宮司いわく、昔の羽田神社「お山掛け」は、旧8月15日は参篭を行い、午前零時16日になって一

番山を掛けたとの事です。近年は15・16日の両日行っているようで、暗い内の登拝も16日の午前5時

のみのようです。私も月夜の中を掛けた思い出が強く心に残っていますので、子供達にも16日の早朝を一

番山と解釈し登拝させました。羽田神社さんに限らずですが、最近は神様が人の都合に合わせなければな

らなくなってきました。今の時代ある程度は仕方の無いことなのかと思いますが、ちょっと寂しさも感じてしま

います。因みに羽田神社お山掛けは平成12年に国の重要無形民俗文化財に指定され、地域にとっても貴

重な財産となりました。

全国からお山掛けに参ずるお子さんが多く、山中は女人禁制ですので、女児の祈願は拝殿で行っているよう

です。小学校入学前のお子さんをお持ちの皆さん、お山掛け、良いと思います。きっと健康で心身強く成長さ

れる事と思います。

小学校入学前といっても早生まれのお子さんはどうなのでしょう?あくまで数え年7歳なのでしょうか?その辺

や不明な点は、羽田神社禰宜の尾形知洋(おがたともひろ)さんが懇切丁寧に答えてくれますので、遠慮なく

お問い合わせ戴いて良いと思います。

           

宮司さんも随分若く、かなり前の写真のようですが、この様な感じでお山掛けが行われます。