北野神社
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Archive for 11月, 2011

11月も終わりです。

2011年 11月 30日

いよいよ今日で11月も終わりです。今年は様々な対応に追われ、お正月様の奉製や様々な諸準備が

遅れてしまい、それに色々な用事までが重なって何時にない慌しさで霜月が過ぎてしまいました。

昨日には気仙沼小学校の皆さんが校外学習に来社され、今日は九条小学校の皆さんが氏神様である

奉務社羽黒神社に来社されました。狛犬とスフィンクス、沖縄のシーサーは何処が違うのですか?など

子供の素朴な質問には時々ドキッとしますが、いずれにしても地元の神社仏閣を詣で、地元の歴史と共

に寺社に親しみを持ってもらうということはとても良いことだと思います。でもいつもはこの時期ではなかっ

た様な・・・?今年は教育現場も子供たちも慌しかったのかもしれません。

                  

午後は会議で神社庁に行って来ました。先輩後輩多くの神職仲間にお会いしましが、別れ際には「良い

お年を~」。ちょっと早い気もしますがこれから神主は年越しに向けて大忙しです。皆さんにお会いするの

は来年小正月過ぎになるでしょう。「良いお年を」年末に良く交わされる言葉で、年が明ければ「おめでとう

ございます」と慶賀の言葉を交わします。言葉には霊力があり、その言葉を発する事によって「本当」になる

という言霊という信仰が日本にはあります。我々の奏上する祝詞等はその最たる所でしょう。サザンオール

スターズに同名の楽曲がある事から、比較的若い世代の方も言霊という言葉を知っているかと思います。

神の国ニッポン、日本最古の和歌集「万葉集」で詠まれているように、わが国は「言霊の幸はう国」、日本

は霊力によって幸せがもたらされる国であると古来から言われています。今年はあれ程の惨事があり、

今なお傷も癒えておらず、抵抗が無いと言ったら嘘になりますが、でも神主は殊に言霊を奉じる立場にある

者、この様な時だからこそ、思いっきり言霊の霊力を発揚して故郷やそこに生きる人々のいち早い復興を願

いたいと思います。

           

さて、明日から宮司と私は神宮大麻やお正月様の頒布方に出かけます。米倉禰宜は奉製やご祈祷など諸

事の為居りますが、年末近くになると神社もあける事が出来なくなりますので、お祓い等のご希望がありま

したら早めにお問い合わせ願います。来月は日記もあまり書けないかもしれません。悪しからず・・・。

大麻頒布始祭が行われました

2011年 11月 27日

今日は日曜日です。当社では平成24年奉斎の神宮大麻・暦頒布始祭並びに幣束切り始祭が斎行され、

参列された当社、奉務社の羽黒神社、紫神社の頒布お世話人の皆様に神宮大麻・暦を御願い致しました。

来月1日から、通称「お幣束切」と呼ばれるお正月様の頒布方に出かけます。神宮大麻は、そのお世話い

ただくお宿で受けられる方もいらっしゃいますし、お幣束切は神社でも行っておりますので、神社で共に受け

られる方、大麻頒布お世話人様から大麻だけ事前に受けられる方など様々で、統一性が無いと言う点では

色々とご不便をお掛けしております。実際事前に大麻を受けられた御家庭も再度お幣束切に伺ったり、お幣

束を受けに来社されるわけで、二度の手間といえばそうなのかもしれませんが、明治のはじめ神宮大麻の頒

布方は神宮司庁から地方庁、区長、神職、氏子と公的機関を経由していたこともあってか、こと大麻頒布は

地域のお世話人様に敢えて御願いするという古例を守っています。我々としても神宮大麻は御伊勢様から

お預かりしたお札でありますので、区別すると言う意味でも、神宮の特化性という意味でも意義あることかと

考えます。寒空の中お世話いただく皆様には大変申し訳ありませんが・・・。

年が明けるという事は、いろいろな意味での区切りでもありますし、切欠にもなるのだろうと思います。

平成23年から24年へ、御神威あらたなお札をあらたな気持ちで拝ろがむ時、そこに何かを見つけて頂ければ

と切に願います。

  

寒い日が続きます

2011年 11月 25日

今日も寒い一日でした。明日は穏やかな予報が出ています。急激な寒暖の変化で体がついてゆかず

ちょっと風邪気味です。今日は神奈川県小田原からお客様がお出でになりました。報徳二宮神社草山

宮司様ご一行です。草山宮司様は震災以来、気仙沼の漁業復興や仮設商店街計画等に物心両面

にわたりご支援なされており、今回も様々な打ち合わせに気仙沼入りされたとの事です。

二宮神社は二宮尊徳公をご祭神としてお祭りする著名な神社ですが、何度も気仙沼に足を運ばれ、た

だ一心に被災地復興の為と尽力されるお姿を拝見するに、まさにご祭神の説かれた教えを実践されて

いる様に思え、同じ神職として本当に頭が下がる思いが致します。

我が郷は多くの方々からのご支援をいただきつつ、僅かな歩みながら、一歩一歩確実に復興の道筋を歩

んでいると思います。改めて一市民として御礼を申し上げます。

         

昨日は福島県郡山市の神主の親友が奥さんお子さん方と来社されました。彼とは神主の修行時代、

寝食を共にした二十年来の友人です。彼は福島県の青年神職会の会長を務めていますが、会で作

った幟旗を持って来てくれました。「祈り 雄々しく ただ一心に 平らかに 安らかに 豊かな故郷」

福島県は地震津波に加え、目に見えない人災の脅威に晒されています。何を頑張れば良いのか復

旧復興という言葉さえも出せない現状でしょう。今は故郷を想い一心に祈る事しか・・・。

福島県の現状を垣間見る、希望でもあり、内なる叫びとも捉えられる非常に重き幟旗です。この祈りが

現実となる様、当社にも掲げさせていただきました。

新嘗祭です

2011年 11月 23日

長男に今日はなんで学校がお休みなんだ?と聞きましたら「勤労感謝の日だからでしょ」と答えが返ってきました。

そうなんです確かに勤労感謝の日なのですが、我々神社界にとっては新嘗祭という大事なお祭の日です。この五

穀豊穣を神々に感謝するお祭は1300年以上前から行われ、農耕を民族の基幹とする日本人にとっては大変重要

なお祭として位置づけられてきました。「勤労を尊び、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」という趣旨のもと、昭和

23年に「勤労感謝の日」に改められましたが、そこに「恵みを受けて命を繋ぐ、その営みを神々に感謝する」という新

嘗祭の趣旨が継承されているかと考える時、少し首を傾げたくなります。勤労感謝の日の趣旨は、全てが人間主体

の考え方で、頂きますと言うように、いただき物を大自然=神に感謝するという日本人が潜在的に持つ概念は反映

されていないような気がします。聞いた話によれば、給食費を払っているのは親なのだから「頂きます」はおかしいと

言う父兄もいらっしゃるようで、悲しみにも似た思いを抱いてしまいますが、一見差障りの無い様に思える、例えば勤

労感謝の日の趣旨などは、民族性、国民性を違った方向へもって行こうとする策略的なものも感じてしまいます。

祝祭日は字の如く、そもそもお祭を祝い感謝する日、それを行う為の休日なのでしょう。今日は勤労感謝の日という

息子に、「確かにそうだがもっと大切なのは今日は新嘗祭という祝祭日だよ。毎日頂いているお米や食べ物を大自

然や神様に感謝する日だよ。だからDSばかりやって遊んでちゃ駄目よ」と教えました。

大自然、恵み、猛威、人知を超える力、存在を色々と考えさせられた平成23年。冒頭、神社界ではと書きましたが

訂正させていただきます。今日は我々日本人の「新嘗の祭」です。

                      

ご神前に新穀をお供えしお祭りを行いました。午後には羽黒神社でも新嘗祭を斎行しました

  

五穀豊穣の神と称えられる当社境内社、稲荷神社にも新穀を奉りました。来年の新嘗祭までお供えします。

去年の荒稲は冬に備える小鳥たちにもおすそ分けです。去年の荒稲をお狐さんに背負ってもらいました。

当社の稼ぎ頭

2011年 11月 22日

       

今日はとても寒い朝でした。家々の屋根にも白い物が薄っすらと。いよいよ寒さ本番です。

この寒さで、落葉が進みました。掃いても掃いてもすぐ葉っぱが落ちてくる、何年か前に裏

参道を舗装しましたが、参拝者皆様からはおおむね好評なものの、掃除していないと目立つ

のですね、これが・・・。掃除は神主の基本ですから仕方が無いものの、竹箒はすぐ傷むし、

手の皮はめくれる、大人二人で2時間掛かりとなかなか大変です。で、ある時これ使えない

かな?という事でやってみたら凄く良いのです。

                

ブロアと発電機コンビです。これで葉っぱを吹き飛ばしちゃいます。米倉禰宜に発電機をおして

もらって、私が風を操ります(カッコいい言い方ですが、まあただ飛ばしているだけですが・・・)

これで一時間足らずで終わってしまいます。この時期の当社稼ぎ頭になりました。明日は新嘗

祭なので綺麗に出来て良かったと思います。

でもどうでしょうか?皆さんの中には神社の境内では竹箒を持った神主がサッサッと落ち葉を掃

いているイメージがあるのではないでしょうか?常々思い心掛けようと努めていますが、例えば

「女性らしく」「男らしく」「大人らしく」「子供らしく」「先生らしく」「政治家らしく」etc・・・

「らしく在る」と言う事。おそらくそれは決まった形ではなく、常識という概念の中にある複数の共

通認識なのかと思うのですが、夫々の人が夫々の立場で「らしく在る」事を意識した社会はとても

豊かな幸せな社会なのかなあと思うのです。連日のニュースで報じられている呆れる、切ない、

悲しい内容は、結局「らしく無い」ことが報じられている事が多いわけですから・・・。

昔と今を単純に比較するするのもナンセンスですが、何となく昔の人たちは「らしく在る」事に誇りと

いうか美徳というか、そいういった生き様を見出していたように感じます。

「らしく在る」、当たり前のようで実は難しい事、若しかしたら現代社会に於いて失われつつある事

柄なのかもしれません。私も「神主らしく」を心がけつつ実が伴って無い事には反省の毎日ですが、

イメージを守るというのも「らしく」の大切なひとつの要因でしょうから、今日も楽をしてブウォーと風

を操りながら、少し後ろめたい気持ちになりました。考えすぎでしょうか?

お掃除の事を書こうと思っていたら今日も話が脱線してしまいました。文章もそうですが、会話をして

いても本論を話そうとして脱線して何を話そうとしていたのか分からなくなる時が多々あります。

私たち神主は祝詞に最たる所を見るように、言の葉に言霊を奉じる立場の者ですから、人一倍自らの

発する言葉に誠実でなければなりません。ゆめゆめその場の雰囲気で口走ってしまったり、責任の無

い言葉を発する事は慎まなければなりません。とまあ立派な事を言っていますが、実はこうやって日記

に書き公表するのも自戒する良い機会だったりします。齢39歳、まだまだ人生勉強の途中です。

      

 一晩経つと松の葉や桜の葉でこんな感じです。掃除をしているとたまにアスファルトが盛り上がって

裂けているのを発見します。竹の根です。これを放置したらどんどん道路が壊されてしまいます。これ

を見つけ対処するのも重要です。

                

裏参道から福美町側の写真です。以前インターネットで色々検索していたら、ここの光景を「見事な空

中都市振り」と紹介しているサイトがありました。空中都市といえばマチュピチュが有名ですが、三陸は

平地が少ないですから造られるべくして造られた町並みで、私自身子供の頃から慣れ親しんでいる町

並みなので何とも感じませんが、言われて見れば、うん確かに空中町並みに見えないでもありません。