北野神社
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Archive for 11月 22nd, 2011

当社の稼ぎ頭

2011年 11月 22日

       

今日はとても寒い朝でした。家々の屋根にも白い物が薄っすらと。いよいよ寒さ本番です。

この寒さで、落葉が進みました。掃いても掃いてもすぐ葉っぱが落ちてくる、何年か前に裏

参道を舗装しましたが、参拝者皆様からはおおむね好評なものの、掃除していないと目立つ

のですね、これが・・・。掃除は神主の基本ですから仕方が無いものの、竹箒はすぐ傷むし、

手の皮はめくれる、大人二人で2時間掛かりとなかなか大変です。で、ある時これ使えない

かな?という事でやってみたら凄く良いのです。

                

ブロアと発電機コンビです。これで葉っぱを吹き飛ばしちゃいます。米倉禰宜に発電機をおして

もらって、私が風を操ります(カッコいい言い方ですが、まあただ飛ばしているだけですが・・・)

これで一時間足らずで終わってしまいます。この時期の当社稼ぎ頭になりました。明日は新嘗

祭なので綺麗に出来て良かったと思います。

でもどうでしょうか?皆さんの中には神社の境内では竹箒を持った神主がサッサッと落ち葉を掃

いているイメージがあるのではないでしょうか?常々思い心掛けようと努めていますが、例えば

「女性らしく」「男らしく」「大人らしく」「子供らしく」「先生らしく」「政治家らしく」etc・・・

「らしく在る」と言う事。おそらくそれは決まった形ではなく、常識という概念の中にある複数の共

通認識なのかと思うのですが、夫々の人が夫々の立場で「らしく在る」事を意識した社会はとても

豊かな幸せな社会なのかなあと思うのです。連日のニュースで報じられている呆れる、切ない、

悲しい内容は、結局「らしく無い」ことが報じられている事が多いわけですから・・・。

昔と今を単純に比較するするのもナンセンスですが、何となく昔の人たちは「らしく在る」事に誇りと

いうか美徳というか、そいういった生き様を見出していたように感じます。

「らしく在る」、当たり前のようで実は難しい事、若しかしたら現代社会に於いて失われつつある事

柄なのかもしれません。私も「神主らしく」を心がけつつ実が伴って無い事には反省の毎日ですが、

イメージを守るというのも「らしく」の大切なひとつの要因でしょうから、今日も楽をしてブウォーと風

を操りながら、少し後ろめたい気持ちになりました。考えすぎでしょうか?

お掃除の事を書こうと思っていたら今日も話が脱線してしまいました。文章もそうですが、会話をして

いても本論を話そうとして脱線して何を話そうとしていたのか分からなくなる時が多々あります。

私たち神主は祝詞に最たる所を見るように、言の葉に言霊を奉じる立場の者ですから、人一倍自らの

発する言葉に誠実でなければなりません。ゆめゆめその場の雰囲気で口走ってしまったり、責任の無

い言葉を発する事は慎まなければなりません。とまあ立派な事を言っていますが、実はこうやって日記

に書き公表するのも自戒する良い機会だったりします。齢39歳、まだまだ人生勉強の途中です。

      

 一晩経つと松の葉や桜の葉でこんな感じです。掃除をしているとたまにアスファルトが盛り上がって

裂けているのを発見します。竹の根です。これを放置したらどんどん道路が壊されてしまいます。これ

を見つけ対処するのも重要です。

                

裏参道から福美町側の写真です。以前インターネットで色々検索していたら、ここの光景を「見事な空

中都市振り」と紹介しているサイトがありました。空中都市といえばマチュピチュが有名ですが、三陸は

平地が少ないですから造られるべくして造られた町並みで、私自身子供の頃から慣れ親しんでいる町

並みなので何とも感じませんが、言われて見れば、うん確かに空中町並みに見えないでもありません。