北野神社
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Archive for 1月, 2012

今日は初天神です。

2012年 1月 25日

今日は初天神。天神様の今年初めての御縁日です。全国の菅公をお祀りする神社では

初天神祭が行われます。当社でも総代さん、お世話人さんはじめ多くの方々にご参拝い

ただき初天神祭をご奉仕し、ただ今盛大な直会の最中です。私もあまりいける方ではな

いのですが、初天神と言うことで少々御酒をいただき、ほろ酔い加減でございます。

今年一年天神様のご加護の下、穏やかで実り多き年であることをご祈念申し上げます。

今日は大寒、禊と浜清め慰霊祭に参じてきました。

2012年 1月 21日

今日は二十四節季のひとつ大寒です。もっとも寒い頃と言われます。毎年の恒例です

が、私が所属する宮城県神道青年協議会の事業、大寒禊研修会に参加してまいりまし

た。36回目を数える同事業は、協議会にとって年度中の事業ではありますが、新年初

めの事業でもあり、年初めに自らの心身と広く世の穢れ事を祓うと言う意味で、神職とし

て最も重要な事柄であり、会といたしましても最も重きをおいている事業かと思います。

例年禊は大寒の朝、日の出と共に七ヶ浜町の菖蒲田浜海岸で行われ、大寒禊の30年

有余の歴史の殆どを同海岸で行ってまいりました。その間地元の方々にも大変御世話

になり、火を焚いて下さったり、温かい汁物を準備して頂いたりと、まさに地元の方々の

ご協力あってこそ30年以上の歴史を刻めたものと感じます。

その菖蒲田浜を含む七ヶ浜町も御世話になった住民の方々も、先年の大震災では津波

により甚大な被害を受けました。会執行部は24年の大寒を迎えるに当たり、縁ある菖

蒲田浜海岸から広く被災した浜辺の浜清めを行い、震災に殉難された多くの御霊の御

霊なごめを第一にと考え、今年は前日に志波彦神社鹽竈神社大講堂をお借りし鎮魂行

を行い精神を鎮め浄化し、更に同日夜に同社禊場をお借りし禊祓いを行い、参篭おこも

りを致しました。翌大寒の朝、菖蒲田浜に赴き、大祓にて浜清めを行い、11時から同じ

く菖蒲田浜で慰霊祭を斎行致しました。

震災から10ヶ月余が過ぎ深い傷跡はまだまだ癒えておりませんが、それでも我々生か

された者は前を向き歩むしかありません。復興の道のりも長いかと思いますが夫々が

夫々の負い持つつとめに励み頑張るしかありません。それがひいては街や地域の大き

な復興につながって行くのかと信じます。そして我々のつとめは「祈る事」、ただひたすら

祈る事なのです。

亡き方々を偲び哀悼のまことを捧げる事に宗教の隔たりは無きものと存じます。様々

ご協力くださいました方々、寒風の中ご参列いただいた地元の方々をはじめ皆様に会

員の一人として感謝申し上げます。願いたて奉らくは御霊の御心安らかなることを・・・。

一日も早なる郷土、そこに生きる民の復興を・・・。

    

石上鎮魂行並びに禊行は神社庁練成行事道彦、志波彦神社鹽竈神社権禰宜の鈴木

先生のご指導を頂き行いました。行中は撮影は出来ませんので説明の間と脱衣の時に

失敬しました。

    

21日、大寒早朝。浜清め大祓です。列立し、参進するところです。

      

    

慰霊祭斎行時はさすがに大寒、小雪が舞い非常に寒かったですが、多くの皆様に

ご参列いただきました。

一景島神社の今

2012年 1月 18日

昨日の日記で一景島神社の事に触れました。一景島神社は昨年の津波で社殿すべて

が流失した神社で、その後対応には新潟、富山県の青年神職会の皆様や多くの県内

外の方々からご支援を頂き、私も多少なりとて携わってまいりました。一景島神社は五

十鈴神社、神山宮司さんの兼務社であり、当日記で勝手に現況を紹介するのは本来慎

むべきところではあるのでしょうが、一景島神社の復旧作業やお祭りを折々に当日記で

紹介してきた経緯もあり、そこから情報を得ていた方もあるのではと思い、はなはだ勝手

ながら昨日の日記でも現況を紹介させていただきました。それで昨日はお祓いだったの

でカメラを持っていなかったので、今日改めて一景島神社にお参りしてきました。

    

赤い鳥居がたち、倒れた石碑なども多くは元の位置に戻されたようです。参道も砂利がひかれ綺麗になりました。      

    

おみくじも結ばれていました。この願いが結ばれますことを・・・

    

小社殿は東京上野の下谷神社さんを通じて支援いただいたものです。同神社さんの被

災3県に対する活動はテレビでも紹介されました。

    

    

神社の周囲は津波で被害を受けた民家は撤去され、かつて港町の象徴だったこの地は

以前の面影を思い出すのも難しくなってきました。

先日一景島神社の総代長さんのお話が地方紙に載っていました。心のより所の神社を

復興させ、自分たちも必ず復興すると言う決意ともとれる内容でした。

今後、神山宮司さんの許可を得て、また当日記で紹介してゆきたいと思います。

水産加工場のお祓いに行って参りました

2012年 1月 17日

今日は被災した水産加工業者さんが倉庫を改修し加工場として再出発すると言うことで

清祓いに行って参りました。倉庫といってもそこは魚市場近く、紛れも無く津波浸水域で

その建物も甚大なる被害があったものです。震災から10ヶ月、確かに瓦礫はなくなりま

したが、同時に周囲には建物も無くなり、道路部分だけがかさ上げされてあちらこちらが

沼地のように水が溜まっています。強風の中そこで泳ぐ水鳥が不思議な感じでした。

兎にも角にも気仙沼は水産の町ですので、加工業が復旧してゆくのはとても喜ばしいこ

とです。今日の加工場は補修した建物そのものが最初からある程度地盤の高いところ

にあったため今後のかさ上げにも対応出来そうです。市場の近くに関連した仕事が在る

のは理想の形であります。今後この地域をどのように生かしてゆくのかが我が町の行く

末を左右するのかと思うにつけ、行政の早期かつ的確な指針と支援が望まれるのかと

感じました。

加工場のすぐ近くには一景島神社があります。今年初めて参拝させていただきました。

太い塩ビ管で作った赤い鳥居がたち、倒れた石碑等もずいぶん整備されていました。ど

んと祭も行ったようです。離れた場所からも氏神様に想いを寄せ、氏子さん方も神社復

旧の為に頑張っていただいているようです。私が作った応急鳥居がまだ境内に残ってい

ました。明らかにその場しのぎ的なもので、今となっては到底相応しいものではないで

す。私が作ったので宮司さんが気を遣っていらっしゃるのか・・・?今度お会いした時に

言ってみましょうか。

             

加工品を神饌としてお供えいただき、神事後頂いてまいりました。今後の更なる復興を

願いつつ有難く頂きたいと思います。

中学校の授業に御邪魔しました

2012年 1月 16日

古典音楽に親しむと言うことで今の小中学校では音楽教育に雅楽を取り入れる事があ

るそうです。ということで神職仲間の先生からご依頼を頂戴し、唐桑町の小原木中学校

に米倉禰宜とともに行ってまいりました。

              

他には唐桑町賀茂神社の小原宮司さんもお出でになりました。生徒さん方に生を聞か

せてやりたいと言う事です。私などは楽器を所有していると言うだけであって技術は伴っ

ておりません。音楽の先生の授業進行の補佐ということで、生徒皆さんと共に学ぶつも

りで行ってまいりました。楽人の装束をつけて演奏したので、まあ雰囲気だけは伝わっ

たかなあと思います。

人生をより豊かにするひとつの要素として音楽はとても良いと思います。古典音楽に触

れる機会は少ないでしょうが、これを切欠に少しでも興味を持ってもらえたら幸いです。