北野神社
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Archive for 3月, 2012

春こがれ弥生晦日

2012年 3月 31日

今日で3月も最後です、早いもので今年も4分の1が過ぎてしまいました。明日からは4月ですが

4月は当社春の例祭です。昨年は例祭と復興祈願祭のみを粛々と斎行いたしましたが、今年は

復興元年、賑々しく行いたいと思います。例祭は25日ですが、毎年その時期には桜が満開です。

ところが今年はまだ梅の花も蕾のままです。今年は本当に寒いのですね。桜の開花はいつにな

るのでしょう?

                 

それでも日が差す日中は暖かい日も多くなりました。そして再びあの臭いが出できたようです。

ある業者さんから聞いたお話ですが、立ち入る事のできないある被災冷蔵庫にはまだ何千トンの

腐敗魚類があるとか・・・。またあの巨大なハエの大群がやってくるのでしょうか?

正念場

2012年 3月 28日

今日は東京の神社本庁より職員の方お二人が被災神社の調査にお出でになり、私が支部内被災神社を

ご案内いたしました。神社本庁では震災後何度もお出でになっていますが、今更に調査にお出でになると

いうこと事態に、震災被害の甚大さを感じます。市や県の復興計画に神社仏閣などは考慮に入っていない

でしょう、しかし地域の象徴として、今後の再生を望む共同体意識の高揚につけても精神的支柱は実に必

要なものと思います。

市民皆さんの生活の復興の後について行く事になるのでしょうが、神社本庁、県神社庁のご指導を仰ぎな

がら、求められたその時、神社が無くなっていない様に信仰を維持してゆくよう努めたいと思います。

自分が奉仕する神社、他の方が奉仕する神社、今となっては関係ありません。神社仏閣は過去の方々から

託され、そして未来に渡さなければならない貴重な地域の宝、地域の宝は地域で守る、頑張ります。

昼過ぎに青年神職会の会議があり仙台に出かけてきました。青年神職会でも今申し上げたような事が議案

として出されました。

以前テレビで見たのですが、岩手県のどなたかが書いたこんなコメントがありました。

「被災地じゃない!正念場だ!」

震災から一年、私も正念場だと思います。

香久留ケ原 中納言神社

2012年 3月 27日

気仙沼高校の一角に中納言神社が祀られています。当社宮司家で奉仕する羽黒神社を創建された

三位中納言菅原昭次卿をご祭神としておまつりしています。気仙沼高校一帯はかつて香久留ケ原と

いわれ、菅原昭次卿の屋敷が在ったといわれています。ですから気仙沼高校の一角に中納言神社が

祀られているのも納得がいくところです。同校は平成17年に共に歴史のある二つの高校、男子校の

気仙沼高校と女子校鼎ヶ浦高校が合併し、共学の新気仙沼高校になりましたが、旧気仙沼高校の校

歌にも「中納言香久留ケ原に聳え立つ」と在り、新校歌にも「香久留ケ原は真秀ら郷」と在ります。

現在の中納言神社の立地場所は気仙沼高校教育振興会の管理にあり、この度その土地を気仙沼高

校の帰属に改めるにつけて、県の所有土地に神社が在ることが問われたらしいですが、神社と高校の

歴史と関係を重んずるOB皆様の働きかけで、神社の一角を羽黒神社の飛び地境内とすべく具体的な

作業を行っています。今日は現場で測量前の立会いで中納言神社に宮司と共に行ってきました。

色々とお骨折りをいただいております気仙沼高校OB皆様、快く折衝に応じてくださる気仙沼高校御当局

に感謝を申し上げます。

            

神社の前を部活動の生徒さんがランニングしていましたが、当たり前といえば当たり前ですが特に気にか

ける様子はありませんでした。私は気仙沼高校のOBではありませんが、学歴の中で校歌の意味を考える

ようになったのは最近のことです。これからも中納言神社はこの場所で気仙沼高校の生徒さんを見守って

くれるはずです。いつか生徒さん方が興味を持ってくれて、自然と手を合わせる様になってくれればと願い

ます。

 

一週間日記

2012年 3月 25日

10日ぶりの天神山日記です。もはや日記とはいいませんね。深く反省・・・。

この一週間を振り返ってみました。18日は仙台市泉区の神主の大先輩、Iさんご子息の結婚披露宴に出席

してきました。今まで沢山の披露宴に参加させて頂きましたが、ほとんどが新郎さんの関係でして、今回は

お父さんの関係での出席、改めて自分の年齢を意識した披露宴でもありました。お父さんのIさんとは青年会

からのお付き合いで、息子さん方は家族交流会などで小さい頃から知っています。本当にご立派な青年にな

られて、素晴らしい伴侶を得られた。これからのご活躍をお祈りします。

19日は私事ながら次男の幼稚園卒園式でした。この間生まれたと思っていましたが、何時の間にか一年生に

なろうとしています。以前の日記でも書きましたが、被災した南気仙沼小学校と2校統合されてのスタートです。

新しい友達を沢山つくって頑張ってもらいたいものです。ちなみに卒園の謝恩会時に余興として披露した、ダン

スですが、お母さん方の完璧なダンスに、私のちょっとしたアクシデントに会場は大盛り上がりでした。とにかく

3ヶ月近く頑張った甲斐がありました。

20日は御彼岸の中日、春分の日です。お墓参りに出かけました。暑さ寒さも彼岸までと言いますが、ちょっと

寒かったです、でも多くの方が墓参されていました。

                      

22、23日と福井県で青年神職の全国大会がありました。前回は仙台で全国大会が行われ、そのお礼と震災

後全国の方々から多くのご支援、ボランティア活動などを頂いておりましたので、そのお礼も兼ね行って参りま

した。時間的に前日に福井入りしなければならず、どうせなら観光もしたいねえという仲間の意見もあり、20日

の夜中に車で出発し21日の8時頃に福井に着きました。ところが着いてみたら観光どころか動く気力も無く、サ

ウナで半日間爆睡してしまいました。北陸青年会の皆さんには被災地に度々入り、神社復旧活動や、一般ボラ

ンティアを継続的になされていますが、車でいらっしゃって、活動後昼夜を問わずすぐお帰りになる、御疲れや

不満などは一切口に出さず、また来ますと笑顔で仰る。疲れきった我が身に照らして改めて本当にあり難く感じ

ました。

午後からは後で来る新幹線隊や別車チームに、何をしに夜に出発したの?と言われかねないので、敦賀市まで

足をのばし、北陸の大社、気比神宮にお参りしました。気比神宮宮司さんのご子息は、数年前まで宮城の竹駒

神社で奉職されていたので共に青年会活動もさせていただきました。とても神々しい神域、ご立派なお宮様でした。

                           

22日は開式までに時間があったので、朝散歩に出かけました。私の好きな戦国武将の一人に柴田勝家公がい

らっしゃいます。福井市には勝家公が居城とし、賤ヶ岳の戦いで敗れお市の方と共に最期をとげた北の庄城跡が

あります。城址には勝家公、お市の方をお祀りした柴田神社が創建されています。念願叶ってのお参りでした。

                       

                       

                                               

色々と有意義だった福井の旅、23日の福井は雨で北陸道、新潟まで雨が続きました。ところが東北に入ったら雪。

事故で渋滞、途中からは通行止め、帰宅は24日午前4時。24日の大安土曜日、気を引き締めてご奉仕して、夕

方には撃沈。日記が今日になったお始末でございます。

 

 

 

パソコンの調子が悪く・・・。

2012年 3月 15日

早3月も半ばです。昨日は大きな地震に昨年夏以来の津波注意報、やっぱり緊張しま

した。子供たちも津波が来るの?どこまで来るの?逃げなくていいの?と怯えた様子で

やはり子供たちの胸にも昨年の事は深く刻まれているようです。

さて暫く日記を書かずにおりましたが、最近コンピューターの調子が・・・。どうも電源系

の接触が悪く、機械いじりは好きなほうなので以前なら分解するところですが、電源と言

うことで火災の恐怖もあったので新しいコンピューター求めました。最近はスマートフォン

などの普及もあるのでしょうか?パソコンが安いですね。なかなかのスペックながらかな

り安価で手に入りました。初めてのWINDOWS7です。長らく使っていたXPはとても使

い勝手が良かったですが、7は難しいと言うか、ちょっとまだ慣れないですね。

12日に個人的に思うところもあり、陸前高田市、気仙沼市唐桑、安波山に行ってきまし

た。

           

陸前高田市は広田湾の奥に位置し、海に面した平地に町が形成されていました。湾の

奥に行くにしたがって津波は高くなり結果的に町全体に壊滅的な被害が出ました。

ここは陸前高田市の気仙川沿い奥のほうです。四方眺めても海は見えず、山間部にも

見えます。この道路沿いに建っている建物を見ると一階部分まで浸水している模様。

今更ながら信じられない思いです。この道路沿いを行くと今泉天満宮があります。当社

と同じく菅公をお祀りしています。残念ながら基礎部分しかない状態です。

             

市の象徴、安波山の中腹です。ここまで車道が整備され車で行く事が出来ます。ここか

ら見る気仙沼の光景、夜景は絶景でした。しかし震災後下の写真のように悲しみの光

景になってしまいました。一見建物は残っているように見えますが、鉄筋の建物で流失

しなかっただけであって、湾近くの多くは被災しています。

市ではこの安波山を鎮魂の森とする構想もあるようです。