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Archive for 5月, 2012

金環日食!!

2012年 5月 21日

今日の金環日食、太平洋側の多くの地域で見られるとの事でしたが、曇り空のところも多かっ

たようです。幸い気仙沼は快晴でした。

んー初めて経験する日食、ちょっと予備知識がありませんでした。

太陽の大部分が隠れるのでそれなりの体感的な何かがあると思っていました・・・。

実際は太陽の多くが隠れても肉眼では欠けている事がわからないのですね・・・。

子供たちが何かを持ってきました、学校で渡された日食観測用のメガネだそうです。それで

見ると、オオ~!!か、欠けている!!子供たちに感謝。(絶対に太陽を直視しないで下さ

い。子供たちにも言われました、反省・・・。)

そのまま観測していると環状にはなりませんでしたが、本当に細い弓状まで太陽が隠れま

した。その状態になってふと周囲を見渡すと、朝の強い光ではなく夕方のような感じと言い

ますか、そして肌寒さも感じました。動物たちは本能的に感じるのでしょうか、犬がやたらに

吠えていました。後に米倉禰宜に聞きましたら、普段の山鳥の鳴き声がピタリと止んだとの

事です。

兎にも角にも貴重な経験でした。

  

子供のメガネ越しに撮って見ましたがうまく写りません・・・。右は太陽が隠れちょっと雰囲気

が変わったところです。写真で伝わりますかどうか。

 

今日の感動、明日の感動

2012年 5月 20日

  

緑が映える季節になりました。今日はとても良い天気です。緑に中に混じって咲くツツジ

がとても綺麗です。戦没者慰霊碑の周りにも多くのツツジが植栽されています、花に囲ま

れご英霊も喜んでいらっしゃることと思います。

  

日記を書きながら大相撲五月場所千秋楽をTVで見ていますが、稀勢の里が敗れて栃煌

山と旭天鵬、史上初の平幕同士の優勝争いとなるようです。ん~どうなるでしょう。

明日は金環日食が実に25年ぶりに見れるそうですね。日本列島の広範囲で見れるという

点では932年ぶりと言うことです。

日本もそうですが、多くの国で太陽神を崇め祀ってまいりました。世界中の多くで太陽復活

やその力の維持の儀式が行なわれてきたのはご承知の通りです。現在の様に天文学や

科学などが確立される遠く以前の話ですから、例えば皆既日食や今回の金環日食は先人

たちはさぞ恐ろしかったことでしょう、少なくとも日本においては、神話の岩戸がくれの如く

天照大神が隠れてしまったと思ったのではないでしょうか。そういった文献などが無いか、

時間を見つけ調べてみようと思います。

兎にも角にも子供達も学校から教えられたようで興味津々、明日は目を傷めない様に注意

してその時を待ちたいと思います。

今大相撲の決勝戦が行なわれ、旭天鵬の優勝が決まりました。モンゴル出身ですが日本

国籍を取得されているので日本人の優勝に違いありません。国技ですから日本人に優勝

してもらうのは気持ちが良いですし、37歳8ヶ月での優勝は昭和以来初めてとのこと、歳が

近い私としても感慨深く優勝会見を聞きました。何時も横綱の脇で露払いをしていた旭天

鵬、この優勝パレードでは横綱白鵬が旗手を申し出たそうです。それもまた涙が出るような

話ですね。

 

 

金華山 黄金山神社での復旧活動

2012年 5月 17日

少々肌寒い大安吉日です。今日は筋肉痛と節々が痛くて大変です。

さて、昨日の夕方に金華山、黄金山神社の災害復旧作業から戻ってまいりました。今回は

宮城県神道青年協議会が主催で東北6県の青年神職皆様にも趣旨にご賛同いただき約

30名での活動でした。今回も前回同様モータボートをチャーターし渡島致しました。岸壁や

境内にいたる参道は未だ被災の爪あとが深い状況でしたが、私達が金華山入りする前日に

初巳大祭が斎行されたとのことで境内は整然とされていたような印象でした。

 

             

でも周囲に目をやると至る所に災害の傷跡が残っていました。昨年11月に私どもが金華山

に復旧作業にお邪魔して以来も様々な方々や神社当局の復旧作業が行なわれてきたと思

いますが、まだまだ道半ばと思うにつけ、それだけに甚大な災害だったのだと改めて感じます。

今回の我々の作業は11月に引き続いての貯水槽の泥だし、そして金華山山頂に坐す奥ノ宮

が震災で半壊になり、その修復資材(砂利・砂・コンクリート、20KGが110個程)を人海戦術

で運びましょうというものです。

 

初日の貯水槽の泥だしは雨が本降りの中行なわれました。慣れない土木作業に冷たい雨が

容赦なく体力を奪ってゆきます。頑張ったつもりではありますが貯水槽を覗くと泥は未だたっ

ぷり。う~ん・・・。

 

二日目は資材運びです。作業員が縦に連なり一人一人が10数メートルを運びバトンタッチ

しながら目標地点まで運びます。金華山は花崗岩の山、覆っていた泥が流され巨石が露出

し足元は良くはありません。上に行くに従って更に険しくなります。

 

休憩中をパチリ!。皆うな垂れています。もちろん齢40を迎える私もですが、ふと周囲を見

渡すと、清き湧き水の流れ、木々の緑、小鳥のさえずり、神々しい金華山の原生林は、自らも

その自然に溶け込んでゆくような、まさに聖域そのものでした。何時の日か体調万全で登って

みたいものです。

              

資材運びは帰りの船の時間などの関係で水神社の一歩手前でタイムアップ。予想より手間取

りました。初日の泥だしもこの日の資材運びも中途に終わってしまい残念です。

気仙沼では重機が大活躍していますが、金華山のように孤島や山という条件ではまだまだマン

パワーが必要とされているようです。今後ももう少し体力をつけて微力ながら応援に駆けつけた

いと思います。

 

比較的被害が少ない岸壁から神社境内にいたる車道です。南三陸金華山国定公園の美しい

姿が望めます。震災前と違うのは行き交う人々の姿が全く無いと言うことでしょう。ここより下は

がけ崩れや車道の損壊、岸壁等の地盤沈下、津波の被害がひどく在ります。近々岸壁のかさ

上げ工事が始まるそうです。そうすれば定期船の再開が期待できるかもしれません。神社では

来年平成25年が12年に1回、巳年の式年大祭があり、その時に向けて復旧復興を果たしてゆ

きたいとのことです。神社の復興は近隣の町々の復興にも大きな影響を及ぼすでしょうし、美し

い金華山の復興が人々の心の復興につながって行けたら、これもまた嬉しいものです。

今回の活動がその僅かな一助になれたかいなか?有意義な疲労感を覚えながらの天神山日記です。

 

 

 

 

金華山 黄金山神社の復旧作業に行ってきます

2012年 5月 15日

10日ぶりの天神山日記です・・・。ご無沙汰していました、そしておはようございます。

ただいま朝五時、これから日供祭を御奉仕して、金華山 黄金山神社に向かいます。

宮城県神道青年協議会主催の災害復旧作業で、私としては昨年11月以来になります。

全国から信仰される宮城県を代表する著名な神社でありながら、孤島とその被害の大

きさ故になかなか復興が進まない状況を感じましたが、あれから半年経ってどれ位復旧

が進んでいるのか?近隣の町々を含め見てきたいと思います。ではいって参ります。

大雨の後の鹿折地区

2012年 5月 5日

               

日がさす朝です。柴田病院のご一行は朝の日供祭に参列された後お帰りになりました。

今日はこどもの日で大安吉日、初宮参りなどのお参りの方も多くいらしゃいました。

ちょっと時間を見つけて気仙沼市の鹿折方面に行ってみました。一昨日の豪雨の影響で

水田の様になっていました。かさ上げした道路部分で沈下した部分が囲われるようになっ

た結果と思われます。住民の男性がこんな事を言っていました。「ここはそもそも田んぼ

だから水はなかなか引かないぞ」。確かに鹿折地区は藩政時代より明治期に至るまで製

塩業で栄えた地域であり、多くの塩田が在った地域だったそうです。明治に入り製塩を藩

営から民営化するにあたり、商業ベースに乗れる塩田しか存続する事が困難となり、藩営

に依存度が高かった鹿折地区の塩田は衰退したとの事です。その後は各時代の変遷を経

て埋め立て整備が進み、商業居住地となって現在に至っていました。

その鹿折地区は津波と大規模火災で甚大な被害を蒙り、震災から一年余りが過ぎた今、

多くの瓦礫が撤去され大雨の後の様子は、皮肉な事に百数十年前の塩田ではありませ

んが一面水田の様になっていました。津波は百数十年間築き上げた街や文明を一瞬の

内に尊き命共々奪い去ってしまった・・・。改めてそう感じる光景でした。

震災を忘れじとモニュメントとして残すことが検討されている大型漁船も鹿折地区にあり

ます。様々な本や映像にも載せられているこの船は有名なようで多くの方が見学に訪れ

ているようです。この船を見学され、災害の恐ろしさと現実を感じ、今後日本のどこである

かわからない災害に対する自身の備えにしていただけるならばとても有意義なことだと感

じます。

でも一方で私ですらこの船を見ると今でも胸にギュッと来るものがあります。ましてや鹿折

地区の方々の思いは察するに余りあるものが・・・。後世に伝える教訓としてのモニュメント

も一理、震災の記憶に縛られてしまう要因も一理、被災地ではまだまだ難しくデリケートな

判断が山積です。

   

   

 右の写真の向こうに見えるのがモニュメント化予定の大型漁船です。