大御宝
2013年 4月 29日
大御宝(オオミタカラ)という言葉をご存知でしょうか。我々神職が祝詞で良く
使う言葉で、当社では日供祭の祝詞に含まれておりますので毎日ご神前に奏上す
る言葉です。この言葉はそもそも歴代の天皇陛下が御使いになられた言葉で、日
本国民を意味します。
「罪あらば吾をとがめよ天つ神 民はあが身の生みし子なれば」明治天皇がお詠
みあそばされた大御歌ですが、その大御心を拝するに原住の民だけではなく、帰
化人であろうが渡来人であろうが、その功罪を問わず日本の民を「大御宝」と呼ば
れていることが分ります。国安かれ民安かれとの陛下の祈りの下、我々は日本の民
としてあり続ける事が出来るのだと思います。このような国、このような君主はい
らっしゃるでしょうか。我々は大御宝であるという事に誇りを持つべきですし、こ
の本質を理解すれば靖国神社の問題や外のようで実は内なる問題である事柄も解決
に向かうのかと考えます。
今日の日記でこの様な事を書いたのは、テレビで政府主催、主権回復の日の式典を
放映していて、天皇皇后両陛下も御臨席あそばされておりました。おそらく次第に
は入ってなかったのでしょうが、何処からとも無く天皇陛下万歳の声が上がり、結
果的に会場全体での万歳となりました。そしてそれが問題だと言わんばかりのテレ
ビ報道。
一体何が問題なのでしょうか?陛下の御前でなくても式の意味からすれば当たり前
でしょうし、まして陛下の御前。お正月の一般参賀ではそれこそ大合唱ですね。
国民として聖寿の万歳を祈する事は、単にその語の解釈だけではない事は前述した
通りです。
日本はそれこそ神話の時代から連綿と続く、世界に類を見ない祭祀王を君主に頂く
国であり、深く深くあまりにも深くあたたかい「祈り」のもと生き、生かされてい
る民なんだと思います。
マスコミの情報に誘導されないよう常に疑問符をつけることが肝心だなと思う一日
でした。