今日は宮城刑務所において、神職教戒師会、宮城県神道青年協議会による大祓い並び
に物故者慰霊祭があり、直)権禰宜と共に参加してきました。
写真、携帯の類はNGなので画像はありませんスミマセン。
このお祭りは今回で57回を数え、宮城県神道青年協議会では一番長く続いている事業
かと思います。斎主は時の会長が奉仕しますが、不確かですが祭詞(祝詞)は様々な
想いと共に歴代会長が引き継がれて来たものを奏上していたと思います。
その祭詞のある部分の内容を簡単に申しますと、「様々な理由で刑場に消えた命、そ
の御霊は浄化され懐かしの故郷の山々に抱かれ、家族や親戚、そして地域の守り神と
御成りください」というものです。
色々と議論がある発言であることは承知ですが、日本の死生観、霊魂観は「この世
の罪はこの世の罪」「死した後は神仏」という考え方が基本にある様に思えます。
参列されている収容者の方の心にどの様にとどいているか、それを伺う事は出来な
く拝礼される姿から察するのみですが、先人が書き残した毎年奏上されるこの慰霊
祭詞はとても意味深いものだと感じています。このお祭りが更生される一助になっ
ていただけたら嬉しい事ですし、これからも我々の使命として続けていって欲しい
と思います。
で、ちょっと話しはずれますが、上記の思いを持ちながら、舞台袖で目を閉じ頭を
垂れ自然と耳に入ってくる慰霊祭詞、誤解を恐れず申せば我が国は「許される国」
といえるのではと感じます。
史実の検証はまた別の事として「千年経っても加害者と被害者の立場は変わらな
い」と公然というお国の国柄。時間という感覚の差異、或は今日の慰霊祭からも感
じる日本人と隣国の霊魂観、死生観の差異。民族性なのか・・・。
この溝は深いと感じます