今日は二十四節気の大暑です。最も暑い時期になります。ところが今日は涼しいくらいの陽気で

節電や震災の影響が色濃くのこる被災地では有り難い陽気ではないでしょうか。

昨日の話になりますが、神社庁で震災復興の勉強会があり参加してきました。講師は宮城県の

大震災対策調査特別委員会で委員長をお努めの県議、相沢光哉先生であります。

いろんなお話をいただきました。例えばこういった災害では復興の主となり活動するのは地方自治体

であり、国は後方支援なのだそうです。ですから悪い例でしたが、削れるところは削れ、努力をしろ、

コンセンサスをとれ、国に甘えるところは甘えろという前某大臣の発言は、日本の法体系を具体的に

言っているものだそうです。

また激甚災害では9割まで国が補助できるらしいですが、1割は地方が担うことになる。宮城県の

ある町では年間の歳入が約70億円だそうです。その町が壊滅的な被害にあいました。県がその町

の復興予算に1割負担でソロバンを弾いたところ、1100億円(うる憶えです)だそうです。年間歳入

70億円の町に1100億円の負担なんて無理ですよね。この町に限らず、これが被災地の現状なん

だと思います。復旧復興には20兆円とも30兆円とも言われますが、2兆円、3兆円と小出しされて

いる間に、被災地の体力は底をついてしまいます。先生も強く仰っていましたが、東日本の復興と一

地域で捉えるのではなく、日本の未来という観点から国には抜本的な対策をとってもらわなくてはな

りません。

大正12年9月1日に起こった関東大震災、首都東京が廃墟と化しました。その翌日より検討され、20

日余りで設置された帝都復興院。その総裁として復興の為に敏腕を振るったのが後藤新平という人物

です。それは大規模な区画整理や公園、幹線道路の整備を含めたもので、当時の国家予算に匹敵する

復興費用を要請したそうです。現在の東京の都市構造そのものが、当時の後藤新平さんの復興構想

によるところが大きく、道路などは非常に幅員を多くとり、環状線や放射状に伸びる道路を主張したそう

で、後の車社会を想像だにしなかった当時の人々からは、なかなか理解を得られなかったようです。

兎にも角にも、現在の首都東京の姿があるのは、マイナスをプラスに変える、先見の目を持ちながら、

強力な指導力をも併せ持つ後藤新平さんの御蔭と言っても過言ではないのでしょう。

この未曾有の大震災、被災地が疲弊する前に、このような方が現れてくれる事を願わずにはおれません。