6月15日


117年前の今日、明治29年6月15日は明治三陸地震が起こった日です。
観測史上最大級の津波が押し寄せ、2万人以上の尊い犠牲が出たとのことです。
最も凄惨を極めたのが気仙沼の唐桑地区といわれています。
今日の地元紙にその話題が載っていて気がつきました。
悲しきかなその被害を超えたとされる東日本大震災。当然2年前のことは忘れる
事は出来ません。でも117年前の事は・・・昭和8年の三陸地震の事は・・・。
過去を遡ったら限が無く、忘却という事は人が生きる術の一つなのかもしれませ
んが、天災と共に子孫が生きて行く事を思うと、胸に刻んでゆくという事の大切
さと難しさ、そのような事を感じました。
心鎮めて、117年前の方々に手を合わせた6月15日です。
石巻市に行ってきました


今日は所用があり石巻の神社さん2社に参じてまいりました。
道の駅「上品の郷」で角田市の熱日高彦神社の神主さんと待ち合わせ、先ずは旧河
北町皿貝鎮座の大日孁神社さんにお参りしてきました。こちらの宮司さんには神社
庁の教化部というところで様々ご指導を頂いた宮司さんで、ご挨拶方々の参拝です
上手い表現が見つかりませんが、日本の原風景と申しますか、長閑な町並みの中、
静かにお鎮まりになっているといった感じの神社さんで、地元の方々に大切に守ら
れている感を強く持ちました。心落ち着くものがあります。
その後、石巻市市街地に向かい日和山鎮座の鹿島御児神社さんに伺いました。
こちらの宮司さんは当社宮司と神職養成所の同期、権禰宜さん方は青年会などで長
らくご一緒させていただいた方々です。
鹿島御児神社さんが鎮座する日和山からの眺めは、美しい光景、そして凄惨な光景
を写す場として、震災前も震災後も象徴的にテレビ報道などが行われる場所です。
震災後は特に、全国多くの皆さんがこの光景をご覧になった事かと存じます。
現在は大きな病院を解体しておりましたが、伺えば、かさ上げをし、居住区と非居
住区を分けるといった構想は決定しているようです。早く震災前の美しい光景が、
ここ日和山から望める事を願います。ちなみに今日は11日、多くの方々が手を合わ
せておりました
恵潮苑産土神社の例祭


今日は気仙沼市の特別養護老人ホーム恵潮苑の中庭に祀られる、産土神社例祭の奉仕
と神楽奉納に行ってまいりました。同苑での奉仕は神社庁気仙沼支部で毎年行ってい
るものであります。
介護状態は様々な方が入所しており、お祭りや神楽を目で耳で理解できる方も居れば
そうでない方々もいらっしゃると思います。それでもどこか懐かしいような、日本人
の心に響くものは皆さんに感じていただけておるものと確信しています。
皆さんの心身のご健康を祈しての産土神社御例祭でした。
今日は日曜、大安吉日


今日は天気の良い大安日曜日、お参りもございましたが、自治会の交流事業があり
神社は宮司と米倉禰宜にお願いし、安波山登山してまいりました。安波登山は5月
5日より1ヶ月ぶりです。汗ばむ陽気の元地区の皆さんと楽しい登山をしてまいりま
した。
夕方に米倉禰宜と徳仙丈山に向かいました。徳仙丈の今の見頃(ちょっと過ぎたか
な・・・)は山一面を赤く染めるツツジです。でも今日の御目当ては徳仙丈にある舞台
です。
能舞台を思わせるような立派な舞台が木立の間にあるのです。今当社では神楽殿を
建築中ですが、予算の関係で銅板を葺く事が出来ず、カラートタンになる予定です
寺社建築とのマッチング、そして色などを選ぶ際の参考に行って参りました。20年
位前の建物のようですが、黒ずみと言うのでしょうか、木の劣化は避けられないよ
うです。材質なのでしょうか、木の劣化は風合いが増す劣化もあれば、少し見栄え
が悪くなる劣化もあるようです。とりあえず劣化防止の対策は必須ですね。
帰り際、徳仙丈の近くに鎮座する羽田神社さんに米倉禰宜とお参りしました。6時
近くでしたので声も掛けずに失礼をしました。
県の天然記念物「太郎坊・次郎防の杉」が拝殿前にそびえ立ち、老杉ながら未だ樹勢
は良好のようです。羽田神社さんからの眺めも素晴らしいです。
羽田神社さんはお参りするたびに立派になっています。今回は新しい鳥居が建立さ
れておりました。多くの崇敬を集めるお宮様です。
宮城刑務所大祓・物故者慰霊祭に参加してきました


今日は宮城刑務所において、神職教戒師会、宮城県神道青年協議会による大祓い並び
に物故者慰霊祭があり、直)権禰宜と共に参加してきました。
写真、携帯の類はNGなので画像はありませんスミマセン。
このお祭りは今回で57回を数え、宮城県神道青年協議会では一番長く続いている事業
かと思います。斎主は時の会長が奉仕しますが、不確かですが祭詞(祝詞)は様々な
想いと共に歴代会長が引き継がれて来たものを奏上していたと思います。
その祭詞のある部分の内容を簡単に申しますと、「様々な理由で刑場に消えた命、そ
の御霊は浄化され懐かしの故郷の山々に抱かれ、家族や親戚、そして地域の守り神と
御成りください」というものです。
色々と議論がある発言であることは承知ですが、日本の死生観、霊魂観は「この世
の罪はこの世の罪」「死した後は神仏」という考え方が基本にある様に思えます。
参列されている収容者の方の心にどの様にとどいているか、それを伺う事は出来な
く拝礼される姿から察するのみですが、先人が書き残した毎年奏上されるこの慰霊
祭詞はとても意味深いものだと感じています。このお祭りが更生される一助になっ
ていただけたら嬉しい事ですし、これからも我々の使命として続けていって欲しい
と思います。
で、ちょっと話しはずれますが、上記の思いを持ちながら、舞台袖で目を閉じ頭を
垂れ自然と耳に入ってくる慰霊祭詞、誤解を恐れず申せば我が国は「許される国」
といえるのではと感じます。
史実の検証はまた別の事として「千年経っても加害者と被害者の立場は変わらな
い」と公然というお国の国柄。時間という感覚の差異、或は今日の慰霊祭からも感
じる日本人と隣国の霊魂観、死生観の差異。民族性なのか・・・。
この溝は深いと感じます