御祭神
由緒
当神社は天和年中(1681)計仙麻細浦館に勧請されました。明和7年補陀寺九世日東木食遼天和尚の願いにより伊達藩の重臣鮎貝志摩藤原盛益公が新に社殿を造営寄進し荒廃した八瀬天満宮、面瀬天満宮と合せ鎮め奉り、更に寛政6年鮎貝主税殿が滝の上なる浄地を選び今の天神山に自在庵と共に移し鎮め奉られました。
以来地方開発、発展守護の産土の神として広く崇敬を受け今に至ります。
御祭神は天暦元年、護国鎮護の神と現れ給う菅原道真公を主神とし、天穂日命、産霊大神、木花之開耶姫神、大海津見神を配祀し、春秋2度の例祭が斎行されます。
宝物
鮎貝志摩公寄進の拝殿松前志摩公直筆の社額
木食遼天彫の神佛像7体と記述の自在庵記録 他
御祭神菅原道真公は承和12年(845)6月25日に野見宿禰(當麻蹴速に勝利し相撲の元祖となります)
13代の孫、是善の第3子として京都菅原院に生まれます。 幼少より詩才に富み叡智衆に優れ、長じて宇多、醍醐両天皇の信任を受け、右大臣となり、左大臣藤原時平と共に朝政を補佐しますが、後、時平の讒言により延喜元年(901)正月25日 と梅を愛でつつ筑前大宰府に流され、 お仕えした若い醍醐天皇を案じ、宇多天皇に思いを残しつつ同3年2月25日に59歳で亡くなり、大宰府安楽寺に葬られ後天満自在天神と祀られたのが今の大宰府天満宮です。 死後寃罪明らかになるに及んで左大臣に、正一位を追贈され、全国広く天満天神として祀られ今は学神と学問を志す人々の尊崇されるところです。 道真公の著述、編纂書は、【菅家文章】【菅家後集】【類聚国史】等がありますが時平と共同編纂の三代実録には【計仙麻】の地名が見え、これは気仙沼が文献に現れた最初です。 |